御林守河村家を守る会

アクセスカウンタ

zoom RSS default mode network(DMN)

<<   作成日時 : 2010/08/28 06:40   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

[島田市指定文化財]御林守河村家にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ


DMNのことを自分は言っていたのだ、と今気づいた。

それで、eコミ島田に参加していたころの投稿文を再掲する。

丁度5年前に、
脳全体の思考と局所的な思考、
このふたつの思考スタイルについて書いている。

これは過去ログとして凍結されていて、
書き足すことも書き直すことも出来ない。

正確に5年前に書いた文章そのものである。

http://www.e-com-shimada.jp/cell15/modules/wordpress/index.php?cat=1

文中にある
「脳全体を使うぼうっとした思考」とは、
まさに現在脚光を浴びているDMNのこと。

近ごろ過去ログを読みかえしていて、
この投稿文をよみ、我ながら驚いた。

以下、eコミ島田過去ログより引用。

=======================



2005年9月1日(木曜日)
ブログ再開
カテゴリー: 河村家の歴史- kawamura @ 07時47分29秒


夏が終わって、今日からブログを再開いたします。

きのうは、朝の8時に仕事場にはいり、夜10時に高校数学がおわって、
それですべての夏のスケジュールが終了いたしました。

私のブログを読んでいらっしゃる方々は、
私がいわゆる文系の人間とお思いかもしれませんが、
私は生粋の理系人間なのです。

毎日、毎夜、小学生から大学受験生、
あるいはときどきいくつかの大学でも、理系の教科をおしえています。
数学や物理、化学に完全に特化されていて、
いわゆる文系の教科をおしえた経験は皆無です。

しかし、ひとを文系理系とわけるのはいたってナンセンスなことで、
それは高校三年の数学を選択したかどうか、というにすぎません。

いわゆる純粋理系のひとは、高校数学すべてと物理、化学を履修し、
純粋文系のひとは、英語、国語と、社会の一教科とで受験する、
といった大学受験の形態をいうだけのことなのです。

数学が好きでも、
いわゆる中間理系の国立法学部をめざせば数学は数UBまでで、
数VCは選択しません。

その程度のちがいしかないのです。

しかし、私はいちどだけ、
理系と文系の決定的なちがいに苦しんだことがあります。

それは、いまから35年ほどまえ、私が二十歳のころ、
ある雑誌社から、
100枚ほどの巻頭小説の原稿を依頼されたときのことです。

当時、私は理学部の学生で、そのころ物理数学を学んでいました。

「仮想仕事の原理」に「Lagrangeの乗数法」を適用するというあたりで、
授業の予習復習に追われていたときでしたから、
それがおわって、さて原稿を書く時間はというと、
深夜1時をすぎていました。

朝は8時半から授業です。

それは毎夜のことでしたが、

最初、小説のプロットを考えているときはとても楽しくて、
理系と文系の綱わたりにスリルを感じていました。

(いまから、まわりもちの班長として、防災訓練に出てきます。
 つづきはあした、ということであしからず)






2005年9月3日(土曜日)
続ブログ再開(9/1続編)
カテゴリー: 河村家の歴史- kawamura @ 05時57分20秒


一昨日(9/1)の日記は、理系と文系にさほどの差はないけれど、
いちどだけそのちがいに苦しんだことがある、という内容でした。

二十歳の学生が、
100枚の巻頭小説の原稿を依頼されるというのは、たいへんなことでした。

そのころの理学部の学生は、
朝8時半から授業がはじまって、12時半に午前中の4時間の授業がおわり、
30分で昼食をすませて、
午後1時には実験台のまえに整列していなければなりません。

実験の説明があって、各自その実験を開始します。

データが完全にでそろうのは、夜の8時ごろでしょうか。

そのあとそのデータを解析して、レポートにまとめます。

完成して提出するころには、夜の10時をまわっています。

下宿に帰って、予習復習のおわるのが夜の1時ごろ。

それから、原稿用紙にむかうのです。

その日課が、月曜から金曜まで毎日つづきました。

100枚の原稿依頼のほかにも、
私はさまざまな雑誌や社内新聞などに小説を書いては投稿していましたから、
私の大学生活は、ほとんどそのようなスケジュールでした。

当時は、会社も学校も、土曜日の午前中は仕事や授業がありましたから、
土曜の午後から日曜の夜までが、自由な時間でした。

時間的な制約もありましたので、
私が書くもののほとんどは30枚以内の短編でした。

ですから、100枚というのは、
二十歳の私にはすこし重荷だったのでしょうか。

そのとき、つまりその原稿を書いているとき、
いやおうなしに気づかされたことがあります。

たとえば、

シュレディンガー方程式を解いたあとで小説を書きはじめるのは、
それほど苦にはなりませんでしたが、

その反対に、日曜日に一日中原稿用紙にむかって、
そのあとで翌日の物理数学の予習をやろうとしても、
頭がまったくはたらかないのです。

小説のプロットを考えたあとにはそのような苦痛はないのですが、
原稿用紙にむかったあとは、数式が解けません。

それは大変こまりました。

ウィークデイの夜は小説を書いたあと寝てしまいますから問題はなかったのですが、
日曜の夜は、一日中書いたあとで、
翌日の予習をするのですから、そのときは、苦痛でした。

プロット、つまり筋立てを考えるのは論理的な思考ですから、
そのまま数式の論理とつながるのかもしれません。

しかし、小説を書くというのは、
すくなくとも私の場合は、ぼうっ、とするのです。

ぼんやりと、自分でもなにを考えているのかわからないような、
あるいはなにも考えていないような、そんなかんじなのです。

その思考状態は、
理系の思考をするときとまったくちがうようにかんじられました。

ぼうっとするかんじ、これはとても気持ちのいいものですが、
この感じのままマックスウェル方程式を解こうとしても、
まったく、思考が停止したままなのです。

この「感じ」について、
以前ほかの日記で書いたものがありますので、明日はその記事を投稿いたします。

(kawai先生、こんなことを書いていて、よろしいのでしょうか?)






2005年9月4日(日曜日)
続々ブログ再開(9/1続々編)
カテゴリー: 河村家の歴史- kawamura @ 13時34分19秒


9月1日からブログを再開してはみたのですが、まだ調子がでてきません。

お読みいただいている方々にはまことに申し訳ございませんが、
すこしのあいだご辛抱いただいて、
若年の日の思い出話などにおつきあいいただければと思います。

さて、二十歳のころ、
小説書きと物理数学のはざまで苦しんだ、というお話しでした。

そのときの、小説を書くときのぼうっとした感じについて、
昨日のつづきを書いてみたいとおもいます。

私流の小説手法は「学んで捨てる」というものでした。

この、学んで捨てるという姿勢は、
すべての領域にあてはまるような気もしますが、
私の場合は小説書きのまねごとをしていたときに身につけたのです。

つまり、テーマをみつけ、構成を練って、それぞれの小部分を完成させたあと、
すべてを捨てるという手法です。

そうして、しばらくぼんやりしているうちに、
底のほうからゆっくりと、言葉のあわがうかびあがってくるのです。

その言葉は、自分が書いているという感じではなく、
無意識のちからにみちびかれているといったふうでした。

その快感はわすれがたいものがあって、
それで小説書きから離れられなくなってしまうのです。

この心理過程は、いかようにでも説明がつくでしょうけれども、
完成した作品はそれ自体があやしいひかりをはなっています。

学んで捨てたときに、はじめてそれが命をもつのかもしれません。

この、小説を書いているときの脳の状態は、
いわば開放系で、脳全体がはたらいている、といった感じでした。

理系の問題を解いているときの、
脳の一部が高速回転しているといった、部分的、閉鎖的な感覚ではなく、
ここちよい音楽をきいているときのような、
脳全体がゆったりとたのしんでいるといったふうでした。

このふたつの状態について、
閉鎖系から開放系へは比較的スムースにうつるのですが、
その反対では、苦痛をともなうような感じでした。

しかしこの話は、一流のひとでは様子がちがうようです。

あすは、そのへんについて書いてみたいとおもいます。




2005年9月5日(月曜日)
考える人
カテゴリー: 河村家の歴史- kawamura @ 06時30分34秒


フィールズ賞を受賞した広中平祐の言葉に、
「数式を解くとき、それは頭のなかを音楽のようにながれる」
というものがありました。

考えて式を解く、というのでなく、
いくつかの解法が、協奏曲のように頭のなかをながれるというのです。

ずいぶんむかし読んだ本ですので、うろおぼえですが、
岡潔も同じようなことをいっていました。

岡潔も広中とおなじ数学者ですが、
著作ではなく対談集のなかで言っていたようなきがします。

つまり、ほんとうにものを考えているときは、
ぼうっとしたかんじで、口元もゆるみ、夢のなかで、
あるいは無意識のなかでものを考えているかんじがする、
そして、突然、その答えがわかる、というのです。

大賢は大愚に似たり、ということでしょうか。

西郷隆盛は、ぼうっとしていて、ひるあんどんのようにおもわれがちですが、
じつはまったくちがって、若くから学問に秀でて、
とくにソロバンが得意だったようです。

若年の日は、書の腕もたち計算も速く、いわゆる目端のきく秀才でした。

やがて藩主斉彬に目をかけられて、
藩政に参画するようになってから、
あの、ぼうっとしたスタイルをとるようになったといわれています。

おそらく、計算などの実務よりもさらにふかい思慮がひつようになったために、
自らの思考スタイルを変えたのではないでしょうか。

つまり、脳のはたらきには大別して2種類あって、
ひとつは通常の意識的な思考、
もうひとつは脳全体をつかうような無意識の思考、
このふたつのスタイルで、ひとはさまざまな問題に対処しているように思います。

意識的な思考は、明快で論理的整合性はあるのですが、なにかが欠けています。

無意識の思考は、論理の齟齬(そご)がそこかしこにあるにせよ、
ひとになじむ正しい全体像をあたえてくれます。

ああしようか、こうしようか、と言葉で明確に考える利口さとはべつに、
はた目にはぼうっとしているようにみえても、
言葉になるまえの深い思索の底に、真実の智慧があるようにおもいます。

仕事がらおおくの子どもたちに出会いますが、
眼の澄みきった利発そうな子もすばらしいけれど、
私はむしろ、ほおづえをついて、
ぼんやり窓のそとをながめているような子にも、輝くような将来をかんじます。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
default mode network(DMN) 御林守河村家を守る会/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる