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zoom RSS 御林守河村家の歴史45

<<   作成日時 : 2014/04/15 03:06   >>

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脳科学者茂木健一郎先生と御林守河村家住宅裏


要するにこういうことである。

明應五年、今川氏親の叔父とされる長松院二世教之一訓和尚は、
氏親の遠江侵攻を察知して禁制を求めた。

七月十八日、長松院に禁制が出されると、国人間に緊張が高まり、
東遠は、斯波方国人間同士でさえ取合が起きるほどの不安定な様相となった。

国人間同士での取合以上に、斯波方にとって、
今川氏親の遠江侵攻を防ぐためには、
今川方河井宗忠の居城を落とす必要があった。

というのは、河井宗忠の居城から西へ尾根を越えれば原野谷川上流に出る。

そこから今川方孕石氏と合流して原野谷川を下れば、
斯波方の盟主である原氏の殿谷城に達する。


則ち、氏親が東海道を西進し、南から殿谷城を攻撃するとき、
それに呼応して河井・孕石軍が北から殿谷城を攻撃すれば、
原氏は二正面から挟撃されることになる。

斯波方原氏はそれを恐れて
鶴見・勝間田軍に河井宗忠居城の攻撃を促し、
河井宗忠は戦死したのであろう。


つづきはまたあした。

14.04.15.
(筆者 島田ロータリークラブ幹事 河村隆夫)

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