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zoom RSS 茶と剣(7)

<<   作成日時 : 2017/02/19 08:58   >>

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(写真は 吉田松陰 wiki)


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茶と剣(7)

日本の近代茶業は、剣士によって拓かれた。

それゆえ、近代茶業の成立を知るためには、
幕末とは如何ようなものであり、
剣士たちは幕末をどのように生きたか、
そうして、なにゆえにかれらは
牧之原台地に降り立ったのかを知る必要がある。

茶と剣、とはそういう意味である。

ということで、
しばらく腰を据えて、
幕末の血しぶき舞う剣の世界を渉猟しよう。

一昨日昨日とペリーを紹介したのだから
ペリーの黒船へ果敢に乗船を試みた
あの青年のことを書かねばならない。

いったいあの青年は何ものだったのか。

一瞬天空から翔け降りてきて
たちまち空へ去ったあの青年のこと。

松下村塾の前に立つと
その小ささにだれしも驚くだろう。

わずか三年にも満たぬ間、
そのちいさな塾でかれは若者たちを教えた。

大先生が一段高いところから教え諭す、
というのとまったく違って、
二十代後半の松陰が
生徒の横に座り、
ひとりひとりと議論しながら
わけへだてなく生徒と接した。

松陰の生家杉家は貧農のように暮らす下級武士であったが、
養子先の吉田家が毛利家の兵学師範で、
かれは幼少から一級の学者たちから個人教授を受けるという
典型的な英才教育をほどこされた。

十一歳にして藩主に御進講し、
その明晰さを絶賛されて、
藩校明倫館の兵学教授として出仕することになる。

かれの生涯を通じて
青い書生の気風を感じるのは
おそらくその秀才としての生立ちにあるのだろう。

しかし二十歳のとき
肥前に遊学したころから
一秀才から天才への変貌を遂げはじめる。

当時の藩はいわば独立国のようなもので、
他藩を巡るときには通行手形が必要であった。

かれはその禁を犯して東北への旅に出る。

帰藩後、
もちろん士籍家禄を奪われるのだが、
そのあたりから天才吉田松陰の相貌が
一秀才の殻をやぶって顕れてくる。

それでも藩主はかれの才を惜しみ、
江戸遊学を命じた。

そうして、
ついにそのとき、
嘉永六年の黒船来航の日がおとずれる。

飛ぶが如し、飛ぶが如し。

天空から舞い降り
浦賀へ向けて駆けつづける松陰の姿が
目に浮かぶ。

つづきはまたあした。

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