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zoom RSS 茶と剣(8)

<<   作成日時 : 2017/02/19 09:17   >>

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(写真は 旗艦「サスケハナ号」wiki)

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茶と剣(8)

嘉永7年、
春の下田を
日米和親条約の権利として
米国水兵たちが散策している。

松陰は、
かれを慕う金子重之助とともに、
やや暗い面持ちで、
水兵のあとをつけていた。

水兵たちが下田郊外よりさらに奥深く
散策の足をふみいれたとき、
はじめて水兵は
ふたりの日本人が後をつけていることに気づいた。

吉田松陰と金子重之助が
米国士官とどのような会話を交わしたのか、
『ぺルリ提督 日本遠征記』から引用しよう。

*************

『ペルリ提督 日本遠征記』エム・シー・ペルリ

支那諸海湾及び日本への合衆国遠征隊司令長官
1853年、1854年、日本に来航。

「今や艦隊中の士官達は毎日上陸したし、
 又暫くの間はその行動を阻害される様子も、
 その歩行を監視される様子も、一見前よりは少いやうであつた。
 
 かかる上陸を行つた或る日、
 一団の人々は郊外を通り越して田舎に入り込んだ。

  その時二人の日本人がついて来るのを発見した。
 
 然し最初は二人の密偵が監視してゐるのだらうと想像したので、
 殆ど注意を払わなかつた。
 
 けれどもその二人は秘かに近よつて来る様子だし、
 又あたかも、話をする機会を求め度い様子なのを見てとって、
 アメリカの士官達は二人が近づいて来るのを待つた。

  話しをして見ると、
 その日本人が地位と身分とのある人々なることを認めた。
 
 各々相当の身分を表徴する二本の刀を帯び、
 立派な錦襴の幅広くて短い袴を穿いてゐたからである。
 彼等の態度には上流階級特有の慇懃な洗練さがあつたが、
 明かに安心し切つてゐないやうな、
 且つ何か疚しいことを行はうとしてゐる人々のもつてゐる
  気後れの様子をしてゐた。

  彼等はあたかも、
 自分達の行動を見てゐる同胞が
  誰も手近にゐないかを確めるやうに、
 秘かに眼をあちこちに配り、それから士官の一人に近づき、
 その時計の鎖を賛めるやうな振りをして、
 畳んだ紙を上衣の胸に滑り込ました。

  彼等は意味ありげに唇に手をあてて、
 秘密にしてくれと懇願し、急いで立ち去つた」

*************

つづきは明後日。

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