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zoom RSS 茶と剣(11)

<<   作成日時 : 2017/02/22 07:14   >>

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(写真は 高杉晋作wiki)

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茶と剣(11)

杉蔵往け、
 月白く風清し、
 飄然馬に上りて三百程、
 十数日、
 酒も飲むべし、
 詩も賦すべし。

入江に宛てた松陰の送序である。

松下村塾四天王のひとり入江九一は
この書を読んで決然と旅立つ。

松陰の死後、
久坂玄瑞は禁門の変で自刃し、
高杉晋作は
松陰の草奔崛起を現実化した奇兵隊を率いて
下関功山寺で決起する。

俗論党に席巻され、
佐幕に転じた長州藩に
反旗を翻したのだ。

高杉は下関を動かず、
山縣有朋が諸隊を指揮して
長州藩兵を破り、
藩の実権を正義党が奪還。

そこへ第二次長州征討が始まり、
約十万の幕府軍が進軍してくる。

守る長州兵は四千。

高杉晋作は
大島口で幕府艦隊を奇襲、
幕軍二万の兵を擁する小倉城を
わずか千の奇兵隊で攻略。

圧倒的な幕府軍に対して、
高杉は縦横に機略を駆使して
つぎつぎに幕府軍を撃破した。

ついに幕軍が長州に和睦を求めた
その直後に血を吐き
高杉晋作は他界したのである。

わずか二十九歳で早逝する高杉は
まさに松陰の怨念が憑依したかのような
鬼神の如き人生であった。

奇兵隊は
意気盛んな志願者を
その階層を問わずに集めたいわば国民兵で、
松陰の思想が具現化されたものであった。

幕末の長州藩において
市民革命が為し遂げられた
といってもいい。

以前私が
ちいさなフランス革命と言ったのがそれである。

ところで
松下村塾の弟子たちのなかで
維新の争乱を生きのびたものたちの多くは
明治政府において栄達を極めた。

松陰を慕う木戸孝允は
明治の元勲として歴史にその名を刻んだ。
享年四十五。

伊藤博文は初代総理大臣、
また大日本帝国憲法を起草制定したあと、
ハルピン駅頭で暗殺される。
享年六十九。

山縣有朋は初代内務大臣、
内閣総理大臣、司法大臣などを経て、
日本陸軍の父として絶大な指導力を発揮した。
享年八十五。

翻って、
維新を見ることなく斃れた松陰の四天王たちの享年を
ふたたび思い起こしてみよう。

久坂玄瑞、享年二十五。

高杉晋作、享年二十九。

吉田稔麿、享年二十四。

入江九一、享年二十八。

市民革命の先陣を切って
若くして動乱のうちに斃れたかれらは
みな松下村塾の塾生であった。

これまで数回にわたって、
維新の始源を長州に見てきた。

そして誰しも、
ひとりの天才のなげかける影が
これほどまでに歴史を鳴動させたことに
慄然としたであろう。

いまでも私には
幽囚の部屋で書を読む松陰の影が
深夜の障子に大きく映しだされ
ゆれているような気がする。

これで、ひとまず、
長州からはなれて
明日は土佐の坂本龍馬に会いに行こう。

つづきはまたあした。

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