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zoom RSS 茶と剣(12)

<<   作成日時 : 2017/02/23 08:13  

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(写真は 坂本龍馬wiki)

島田市博物館企画展「島田の刀鍛冶と天下三名槍」開催中!
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茶と剣(12)

文化とは優雅さのことである。

日本の幕末は
米国の西部開拓時代から南北戦争のころにあたり、
武士の立ち居振る舞いは
当時の米国人より遙かに洗練されていた。

だが、物質文明においては圧倒的格差があった。

文明とは科学力のことである。

黒船以来、
その途方もない科学の力に腰をぬかしたのが幕府、
鎖国の無知ゆえに攘夷をとなえて戦い、
敗北して一転開国に豹変したのが薩長。

薩摩の集成館、肥前の反射炉などのように
尊王の雄藩は盛んに西洋から科学をとりいれた。

明治維新は
薩長土肥の科学の勝利であったともいえる。

土佐の坂本龍馬は
勝海舟に感化されるまでは攘夷をとなえていた。

オランダが幕府に提供する風説書には
阿片戦争のことも
蒸気戦艦による植民地化のことも
ことこまかに書かれていたが、
それを知るのは幕閣の一部に限られていて、
剣術修行に江戸へ遊学したばかりの龍馬などには
アームストロング砲搭載の蒸気戦艦のことなど
無縁のことであった。

龍馬は北辰一刀流の達人で、
友人であり親戚でもある武市半平太と
文久元年(1861)に土佐勤王党を結成し、
それゆえ土佐藩は尊王攘夷へうごく。

文久二年(1862)の暮れに
攘夷の龍馬は開国派の勝海舟を斬るために勝邸を訪れる。

しかし、咸臨丸で渡米した勝の世界観にふれ、
一転して開国派となり
たちまち神戸海軍操練所に弟子入りした。

実際の勝は、
咸臨丸では船酔いに苦しめられ、
サンフランシスコを訪問しただけで帰国したけれど、
傑人勝はその都市を一瞥して、
欧米物質文明の脅威を洞察したのである。

龍馬はもともと新しい物好きで、
土佐で朱塗りの長刀が流行しているときには
短刀を帯びて自慢し、
「それも時代遅れよ」と短銃を懐に入れ、
さらに「これからはこれを持つべき」と
『萬国公法』を取りだして見せたと言う。

自説に固執せず、真実と見るやたちまち改める
稚気愛すべき坂本龍馬。

龍馬の生家は郷士(下士)であったが、
これまで述べてきたように
並の上士などくらべものにならないほど豊かな
商家でもあった。

その天衣無縫の龍馬が、ペリー来航のころは
全くの攘夷派であったことを示す書簡がある。

********************

『龍馬の手紙』宮地佐一郎

「父八平宛て・嘉永六年 (一八五三) 九月二十三日

 御状被下、難有次第奉存候。
 金子御送り被仰付、何よりの品に御座候。
 異国船処々に来り侯由に候へば、
 軍も近き内と奉存候。
 其節は異国の首を打取り、帰国可仕候。

 (お手紙を下さり、ありがたき次第でございます。
  お金をお送りいただき、何よりでございます。
  外国船がところどころにやってきていますので、
  近いうちに戦いがあると思います。
  そのときは外国人を討ち取って帰ります)」

********************

明日は蒸気戦艦の艦橋に立ち
悠然と函館の光景をながめるペリーに
ふたたび会いに行こう。

つづきはまたあした。

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