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zoom RSS 茶と剣(13)

<<   作成日時 : 2017/02/24 05:35   >>

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(写真は 幕末日本図絵 エメェ・アンベール)

島田市博物館企画展「島田の刀鍛冶と天下三名槍」開催中!
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茶と剣(13)

ペルリは函館にいる。

条約を交わしたあとの満足感にひたっている様子で
あいかわらず測量したり探検したり、
通商や戦争に備えて日本の国情を調査している。

ペルリらのあと
これから多くの黒船が来航することになるのだが、
かれらが口をそろえて
日本を賞賛することになるその言葉を、
函館にいるペルリらも述べている。

ペルリは
琉球と小笠原については
明らかに植民地化しようとしたが、
列強各国の牽制もあって
それを果たすことはできなかった。

そうして、
日本本土はとうてい侵略できそうもないことを
しだいに認識してゆくことになる。

むしろ、
眠れる黄金の国ジパングが
その眠りからさめたとき、
欧米と比肩しうる強国になるとさえペルリは予感した。

予感したというより、恐れていた、という方が正しい。

教育は全土にゆきとどき、
洗練された高度な精神文化を持ち、
産業革命以前とはいえ、
諸産業のすべての分野で
完成された技術を誇っていることに
彼らはみな瞠目した。

ペルリの艦隊は下田に寄港したあと
琉球、台湾、マニラと経て、
1855年4月23日にブルックリン海軍工廠に到着して
日本遠征の全行程を終了する。

『日本遠征記』には補章がついていて、
条約の謄本を米国に持ち帰り
議会で批准したあとただちにそれを携えて日本に向かい、
1855年1月26日に下田に到着、
全権を帯びたアダムス中佐が
それを日本当局と交換するくだりが描かれている。

そのとき下田は安政大地震のあとで
停泊していたロシア艦隊も被害にみまわれ、
アメリカの帆船を借りて帰路についたことなどが
しるされている。

その下田でも
アダムス中佐は
日本人のあくなき知識欲に驚く。

それでは
どれほどペルリたちが日本文化に衝撃をうけたのか
それを抜萃してみよう。

***************

『ペルリ提督 日本遠征記』エム・シー・ペルリ

支那諸海湾及び日本への合衆国遠征隊司令長官
1853年、1854年、日本に来航。

「実際的及び機械的技術に於て
日本人は非常な巧緻を示してゐる。
そして彼等の道具の粗末さ、
機械に対する知識の不完全を考慮するとき、
彼等の手工上の技術の完全なことは
 すばらしいもののやうである。

 日本の手工業者は
 世界に於ける如何なる手工業者にも劣らず
 練達であつて、
人民の発明力をもつと自由に発達させるならば
 日本人は最も成功してゐる工業国民に
 何時までも劣つてはゐないことだらう。

 他の国民の物質的進歩の成果を学ぶ彼等の好奇心、
それを自らの使用にあてる敏速さによつて、
これ等人民を他国民との交流から孤立せしめてゐる
 政府の排外政策の程度が少いならば、
彼等は間もなく
 最も恵まれたる国々の水準にまで達するだらう。
 
日本人が
 一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、
強力な競争者として、
将来の機械工業の成功を目指す競争に加はるだらう。

 すべてのアメリカ人は、
木造の家屋を建築する際に
 日本の大工達が示した熟練した技術、
即ち整理の巧さ、
 接合の滑な仕上げ、
 床張りの整然さ、
 窓框、
 移動式戸板
 及び幕のきちんとしたはめ方と滑りよさを歎賞した」

「日本人は鉄を炭化することをよく知つてゐて、
 銅銭の鍛錬も大抵良好である。
 それは彼等の剣刃の磨きと鋭さとによつて
 明かな通りであつた」

「船の型は支那のものより遙に優れてゐる」

「漆器は全部軽快清楚に製作されて居り、
 精巧に磨かれてゐる。
 その磨きはこの種の技術が及ぶ極致であるやうである」

「色々の品物の形状と飾りは屢々醜怪なものもあるけれども、
 非常な優美さと熟練さとを示してをり、
 製作上に意匠術を応用してゐる点で、
 大いに進歩したものであつた」

「遠征隊の士官達が持ち帰つた絵入の書物や絵書のうち
 数個が今吾々の前にあるが、
 日本人のそれに示してゐる美術の性質をよく調べると、
 この注目すべき人民は
 他の非常に多くの点に於けると同じく
 美術にも驚くべき発達を示してゐることが著しく眼につく」

「アメリカ人の接触した日本の上流階級は、
 自国のことをよく徹底的に知つてゐたばかりでなく、
 他の国々の地理、
 物質的進歩及び当代の歴史についても何事かを知つてゐた」

「艦上や汽船の上で目に触れた
 あらゆる物珍らしいものに封して
 上流階級が知的関心を示したやうに、

 平民達はアメリカ人が上陸する毎に
 アメリカ人の衣服についてゐるあらゆるものに封して
 執拗な好奇心を示した。

 日本人は街上で絶えず士官と水兵とを取り囲み、
 その身体や帽子から靴に至る服装の諸部分の英語名について、
 あらゆる種類の質問をば身振り手真似で尋ね、
 紙と筆とを取り出しては
 新たに覚えた英語の控へをとつてゐた」

********************

日本国への
驚きと賞賛の言葉をあげると
きりがないので
ここまでとしよう。

明日からは、
遅れてきたロシアのゴンチャローフをとばして
ハリスの『日本滞在記』を見ていこうと思うが、
久々に茶の話に戻るかもしれない。

つづきは来週月曜日。

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