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zoom RSS 山岡鉄舟鉄扇(9)徳川慶喜

<<   作成日時 : 2017/02/07 06:16   >>

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山岡鉄舟鉄扇(9)徳川慶喜のこと

一昨日、伯父さん(大関正夫)の浮月楼での結婚式写真をUPして、
明治初期に浮月楼を公邸としていた徳川慶喜公の
『徳川慶喜家扶日記』を思いだしました。

この日記の原本は、千葉県松戸市の戸定歴史館にあるようですが、
慶喜公が現在の浮月楼の地に別邸をかまえていたころ、
そこを訪れた人びとの名が日記にしるされているのです。

たとえば明治5年1月25日に、
「中条潜助、大草多喜次郎御機嫌伺罷出」
とあって、
牧之原開墾方頭取の中条潜助景昭(中条金之助景昭)や
同じく開墾方頭並の大草多喜次郎高重などが、
定期的に元将軍へ作物を献上していたことが記録されています。

金谷原開墾方は、
幕末の江戸市中取締の任にあった新徴組の内の
直参旗本中条大草など攘夷十七人組が、
慶喜公護衛のために私立の精鋭隊を結成したのが端緒です。

のちに久能山東照宮警護にあたるころには新番組と改称し、
明治二年、金谷原開墾御用となりましたが、
静岡藩成立後は静岡藩士として、静岡藩開墾方と称しました。

隊長は中條潜助景昭、副隊長は大草多喜次郎高重でした。

日記を散見すると、
明治14年5月17日には、山岡鉄太郎が訪れています。
明治27年11月12日には、中條金之助景昭(かげあき)が病気のため、
倅克太郎景明(かげあきら)が、名代としてお茶を献上しています。

もちろんそのお茶とは、
牧之原開墾方隊長中條景昭が神奈川県令就任依頼を辞退して
やがて骨をうずめることになる牧之原のお茶です。

その後は克太郎景明が慶喜公のもとへ、ひきつづき参上しています。

このように、
祖父河村小次郎が中條克太郎景明から受けた
飛龍剣龍車刀の免許状や、
そのとき山岡鉄舟から中條景昭におくられた
鉄扇を、祖父が克太郎から賜ったこと、
あるいは、伯母の母方の祖父が大草高重であること、
あるいは、平成八年三月三日に島田市阪本の種月院でとりおこなわれた
「中條景昭百回忌法要」に参列したあと、
中條家当主中條昭夫様が、その場で87歳の母君に電話されて、
中條克太郎の諱(いみな)景明を「かげあきら」とお読みすることなどを
私に教えていただいたこと、
あるいは、中條景昭の葬儀委員長は
勝海舟で、昭夫様のお祖父さまが勝のお膝であやされていたことなど、
たまたま浮月楼結婚式の写真から『徳川慶喜家扶日記』を想起して、
さまざまのことが思いだされました。

これらについて、いつかくわしくまとめたいと思っています。

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