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zoom RSS 愛媛県緑茶製造試験場

<<   作成日時 : 2018/03/06 07:17   >>

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愛媛県が河村宗平に宛てた「緑茶製造試験場教授を嘱託す」という書状がある。
これには明治30年となっているが、実際には29年から招聘されているので、29年の嘱託状は失われたのであろう。
宗平38から39歳にかけてのことである。

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初期の明治維新は生糸と茶によって成し遂げられた、と言っていい。
とりわけ高価値を生む茶業は、各県垂涎の産業であった。
最先端の静岡風機械化製茶法を、河村宗平は愛媛県に伝えた。

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明治廿九年二月起
愛媛県茶業組合聯合会議所緑茶製造試験場命令書及規則並ニ規程
三第一二〇號
                 茶業組合聯合会議所
                 新居周布桑村郡茶業組合
                 上浮穴郡茶業組合
                 喜多西宇和郡茶業組合
                 宇摩郡茶業組合
                 東宇和郡茶業組合
                 南宇和北宇和郡茶業組合
県下製茶の改良発達を図らんが為め緑茶製造試験場設置の件其会議所及び組合へ委託候條左記の事項を遵守し請書差出すべし
但緑茶製造試験場諸規定等届出べし

明治廿九年二月十二日  愛媛県知事小牧昌業 印
一 緑茶製造試験場設置の旨趣たる県下茶業の改良発達を図り其模範となるべき実業者を養成するを以て目的とす依って伝習生に対し偏頗の処置なく且つ製造の多寡に関せず主として之が習熟方に注意すべし
一 緑茶製造試験場は新居、上浮穴、喜多、宇摩、東宇和、北宇和郡内六ヶ所に設置し伝習生は一ヶ所弐拾五名とす
一 緑茶製造試験場開場中は時々主務員を派遣し監督せしむべきに付其指揮に違背すべからず
一 緑茶製造試験場幹事を選定し其住所姓名を届出べし
一 緑茶製造試験場教師は当庁より配置すべし
一 緑茶製造試験場の設備を除く外原料購求資金及び製造費は其会議所及び組合に於て負担すべし
一 緑茶製造試験場設置場所は来る四月十日迄に届出べし
一 緑茶製造試験場開閉期日等予め届出べし
一 緑茶製造試験場諸般の成績は閉場後十五日以内に報告すべし
右之外当庁内聯部第三課へ承合すべし

(「緑茶製造試験場教師ハ当庁ヨリ配置スベシ」とあるから、河村宗平は愛媛県庁から委嘱されたことがわかる。)


緑茶製造試験場規則
第一章総則
第三条 本場に於いては静岡風緑茶製造の試験をなし之が実業を伝習す

(「静岡風緑茶製造」とは、機械化された製造法のことを言う。静岡風、として製茶機械化が発達した過程については、後日説明する。)

第三章入場
第八条 志願書及び誓約書は左の書式に拠り居住地茶業組合組長の証明を受け茶業組合聯合会議所に差し出すべし。
一 本県在籍の者にして父兄又は本人に於いて相当の資産を有するもの
二 従来茶業に従事し又は茶園を有するもの
三 年齢十八以上三十年以下の男子にして身体健全品行方正なるもの但本年徴兵適齢のものは入場するを得ず

(生徒の衣食住全額を県が負担したから、生徒選抜の要件は厳しい。)
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明治30年、河村宗平は、愛媛県喜多郡茶業組合製茶改良費として、2円寄付している。寄付への記念品は伊予焼の花瓶であった。
すこしさかのぼるが、河村宗平のような「製茶教師」に就いて説明することにしよう。

明治17年に、静波、金谷、川根の三箇所に茶業組合が設置され、それぞれに茶業伝習所が開設された。さらに明治23年には3組合を合併して榛原郡茶業組合を設立した、と『静岡県榛原郡茶業史』にある。
そのころ榛原郡の製茶技量は年々進歩して、全国府県からの招聘に応じて、教師となるもの数百人に及んだ。
しかし各流派乱立しその品格技量には問題があり「招聘地の希望に副わざるのみならず、甚だしきに至ては為に本県の名誉を毀損するものあるに至れり」と同書にある。

そこで当時の小松原英太郎静岡県知事は、明治27年12月、地方税の補助による製茶研究所又製茶傳習所の設立を決断し、詳細な条規をもうけて、製茶教師に試験制度を導入してその品格と技量との向上をはかることにした。

それゆえ、製茶教師の最初の試験が実施された明治28年8月以前と以降とでは、教師の格が画然とへだてられることとなった。
最初の試験で約半数が落第となり、製茶教師とは認められなかった。
もちろん河村宗平は、明治28年の第一回試験、29年の第二回試験とそのつど合格し、明治29年、試験に合格し技量品格を保証された教師として、愛媛県から招聘されたのである。

ちなみに河村宗平の日当壱円二十五銭は現在ではどれくらいの価値なのか。以下ネット記事。<明治30年頃、小学校の教員やお巡りさんの初任給は月に8〜9円ぐらい。一人前の大工さんや工場のベテラン技術者で月20円ぐらいだったようです。このことから考えると、庶民にとって当時の1円は、現在の2万円ぐらいの重みがあったのかもしれません。>
ということは、日当一円二十五銭は、実感として、日当2万5千円。連日ではないにせよ、それを二年間続けたのである。曾孫としてはちょっと気が引ける。

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