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zoom RSS 『製茶師競』ってなに?

<<   作成日時 : 2018/03/21 06:40   >>

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河村宗平遺品

『製茶師競』ってなに?

それは、製茶師(手揉みの技術者)の番付表、です。
写真は明治25年のもの。茶師は日当1円以上の高給でした。

『製茶師競』には、静岡県全域の製茶師が、相撲の番付表に似せて、大関からはじまり前頭まで東西に分かれて整列しています。

その中央上部に、静岡県のお茶の神様、多田元吉が行司として君臨しています。
そのやや下に、世話人、として河村宗平の名があるのです。
(拡大してご覧ください)

宗平34歳。
華々しく静岡県茶業界にデビューした瞬間でした。

30歳で多田元吉に、32歳で中條景昭に出会い、ふたりの推挙で、突然、静岡県茶業界の中枢に駆けあがりました。

茶師は高給取りでしたから、多くの流派が乱立し、やがてその品格技量に問題を生じました。
そこで当時の静岡県知事は、明治27年、製茶研究所又製茶傳習所を設立し、茶師に試験制度を導入してその品格と技量との向上をはかることにしました。

茶師の最初の試験が実施された明治28年8月以前と以降とでは、茶師の格が画然とへだてられることとなりました。
最初の試験で約半数が落第となり、茶師とは認められませんでした。

河村宗平は、明治28年の第一回試験、29年の第二回試験と合格し、明治29年30年と、愛媛県から技量品格を保証された教師として招聘された経緯はすでに見たところです。

愛媛県から帰郷した明治31年、河村宗平は金谷茶業研究所の教師となります。

以来、茶師を教育し、全国へ製茶技術を広めました。

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