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<<   作成日時 : 2009/04/14 07:38   >>

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「○○○○○○○のためのエチュード」

連載56回

(『ゴンチャローフ日本渡航記』イワン・A・ゴンチャローフ
  ロシア秘書官・作家
  1853年〜1854年滞日)


プチャーチンが条約締結を急いだ背景には、
クリミア戦争がありました。

英仏連合軍がロシアと戦っていたのですから、
プチャーチンにしてみれば
和親条約どころではなかったのでしょう。

それで、『ゴンチャローフ日本渡航記』の前半では
ゴンチャローフのご機嫌がきわめて悪しく、
返答の遅い幕府をあしざまにののしっていたのは、
そういう理由があったのです。

幕府の返答まで間があると見るや、
たちまち上海へ帰ったのも、
クリミア戦争の情報収集のためでした。

アメリカはクリミア戦争に参戦していなかったものですから、
強国英仏が戦争しているあいだに、
東洋に侵略の手をのばそうとしてペリーを派遣しました。

小説家のゴンチャローフでさえ、
こんなふうに述懐しているのです。

「諸君はもちろん新聞でご存知だろうが、
 日本はアメリカに三港〔実際は下田、箱館の二港〕を開港した。

 提督は、事ここに至れば、
 条約を締結しなくても
 日本の鎖国政策はひとりでに終るはずだと推察している。

 (略)

 周知のように、捕鯨船は鯨を捕獲して海上で火を焚いて鯨油を絞る。
 今や多数の捕鯨船が遊弋しているが、
 彼らは日本の港では交易していない、
 その港は、ただ船が駆けこんできて、食料品や飲料水を手に入れれば、
 早々に立ち去れるようにするためだけに開いているのだなどと、
 どうして気がつこう? 

 日本人たちがこれからも、海岸に上陸することにも、
 商品の積み卸しにも横槍を入れることになれば、
 一度ならず争いが起きて、
 あるいは戦闘になるかもしれない。

 序の口は局部的なものだが、
 やがては……それがどのような事態をひき起すかは明白である」

アヘン戦争に明らかなように、東洋は植民地化され、
今ふうに言えば、悪の枢軸国英仏が、
アジアを欲しいままに蹂躙していた時代でした。

それはスペインやポルトガルがそれ以前にしていた悪行をまねて、
スペインポルトガルが衰えたあとは、英仏が、
さらにそれを追うようにして米露が、
貧しくひ弱なアジア諸国を食い散らかしていたのです。

9・11のあと、
ブッシュがいみじくも言い放った、悪の枢軸国、とは、
じつは、彼ら欧米諸国の過去の姿でした。

我らアジアの民は、
どれほどかれらに煮え湯を飲まされたのか。

アジアの民は、
彼らに植民地化され隷属を強いられて、
独立して今なお、
欧米人への深い劣等感にさいなまれています。

そのなかで運よく植民地化をまぬがれた日本。

そこには、
弱腰で無力化していたとはいえ、
川路聖謨(としあきら)のようにきわめて優秀な幕閣がいて、
彼らが日本を救ったのです。

それにしても決定的な彼我の差、
それは科学の力のようにも思います。

有無を言わさぬ科学の力、
それは日本に開国を強いた蒸気機関の力であり、
太平洋戦争を終結させた原爆の力です。

それは、どれほど人間味あふれる崇高な思想も文化も、
一瞬で撃ち砕き、灼熱の光で気化させてしまいます。

科学の力、
それはプロメテウスの火であって、
我ら人間に永遠の業苦をあたえつづけるのかもしれません。

しかし、
それは歴史を変えるほどの強力な力であることも確かです。

ともあれ、
日露和親条約とは名ばかりで、
最恵国待遇の約束のみを手にして、
プチャーチンはゴンチャローフとともにロシアに帰ります。

きょうはここまで。

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西暦1854年 - クリミア戦争
南下政策を展開していたロシアは、1853年にトルコ帝国内に侵入した。1854年にはトルコを支援するフランスがロシアに宣戦布告し、クリミア戦争が勃発する。 ...続きを見る
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2009/12/02 16:25

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