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<<   作成日時 : 2009/04/21 08:09   >>

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吉村昭の『生麦事件』を読んでいて、
佐賀藩や薩摩藩の科学技術力におどろきました。

佐賀藩では、
ペリー来航の前から反射炉の建設をはじめているのです。

そこで、鉄製大砲や蒸気機関を造りあげるのですが、
それらは一朝一夕にできるものではなく、
長年にわたる技術の集積が必要なはずです。

それはいったいどこで修得したのでしょう。

たとえば、螺子(ねじ)は、
1543年に種子島に伝えられたとするものの、
一向に普及することなく、
日本は江戸時代を通じて無ねじ文化でした。

1860年に遣米視察団の監察として渡米した
小栗上野介が、はじめてねじの重要性に着目して
それを持ち帰ったといわれます。

ちょうど今、
『万延元年の遣米視察団』を読んでいて、
彼らがどのように西洋科学文明を取りいれようとしたのか、
それをさぐろうと思っています。

それにしても井伊直弼が暗殺されたまさにそのころ、
ようやくサンフランシスコにたどりついた
遣米使節団の繰りひろげる
じつに無邪気な珍道中をご紹介しましょう。

桜田門外の変と使節団の珍道中、
この落差の意味するものについても
考えてみたいと思います。

*********************

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載60回

(『万延元年の遣米使節団』 宮永孝)
 1860年3月〜9月 世界一周して帰朝)

「あるとき白人の一婦人が一時間ほど家をあけた後、
 自分の部屋に入ってみて、びっくりしてしまった。

 なんとそこには好奇に満ちた、
 無邪気な東洋人の一団がいるではないか。

 かれらは女性の衣装の秘密を熱心に探ろうとしていた。
 そのうちの一人は立派な絹のドレスを着ていた。
 もう一人は、華奪なレース細工の婦人帽の用途を
 一心に見つけようとしていた。
 さらにもう一人の男は、最も当惑顔をしていたのだが、
 一生懸命自分の体にフープスカート
 (張り骨で広げたスカート)を合わせ、
 考えられるその用途についてあれこれ言っていた。

 身を持ち崩すきらいがある西洋女を閉じ込めるための
 籠であろうとか、
 ただ何かの危険から身を守ってやるための道具であろうとか、
 等々。
 このスカートは自由意志によってはくものであり、
 ほんの飾り程度にすぎぬことは、
 この生来無知で子供じみた連中には
 思いもつかぬものであったようだ。

 一方、衣装を念入りに調べられたその婦人は、
 部屋の光景に腰を抜かさんばかりに驚いたが、
 わずかな落着きと称賛すべき思いやりをもち、
 この思いもよらぬ、詮索好きな来客に、
 やさしい微笑を浮かべながら近づいて行った。

 そして珍客のために、
 これは女性を美しく引き立たせるためのものであることを、
 身ぶり手ぶりで説明し始めた。
 この興味ある問題に関して手短に、
 あっさりと説明したあと、
 その婦人は会釈しながら客人を部屋から送り出した。

 日本人らは婦人の説明に満足して去って行ったという」

************************

なんだか笑っていいのか悲しむべきか、
複雑な心境にさせられる話です。

あすもまた、珍道中はつづきます。

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