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<<   作成日時 : 2009/04/25 08:07   >>

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いまのいわゆるホワイトハウスは、
当時はエグゼクティブ・マンションと呼ばれていたようですが、
幕府の遣米使節団一行は、
日米修好通商条約の批准のためにそこを訪れました。

260年の鎖国を解いた神秘の国から、
ふしぎな装いをした上品な人々があらわれたのですから、
たちまち日本ブームが湧きおこりました。

二年後の遣欧使節団のときもそうでしたが、
日本人の気品に満ちたふるまいは
欧米人に崇敬の念をいだかせたようです。

ましてやアメリカは、その当時、
ビリー・ザ・キッドの時代です。

銃が正義の西部では、
先住民族であるアメリカインディアンとの戦いに
日々明け暮れていました。

第七騎兵隊が全滅したのは1876年、
明治9年のことですから。

欧州で食いつめた者たちや、罪人、宗教異端者などが、
アメリカンドリームに胸をときめかせて、
西部へ、西部へと、
銃を片手に幌馬車を走らせていた時代のことです。

首都ワシントンや、
つぎに使節団が訪れるフィラデルフィアでも、
かすかな硝煙と血のにおいがただよっていたでしょう。

万延元年(1860)というと、
アメリカは建国からまだ100年も経っていません。

それに比べて、
日本は、産業革命を経ていないから
たしかに物質文明としては
劣っていた部分が多いのでしょうけれども、
その繊細で気品に満ちた千数百年の文化は、
アメリカなど比較にならぬほど高度に洗練されていました。

そのサムライたちの堂々たる立ち居振る舞いに、
米国淑女たちは目を輝かせたのです。

*************************

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載63回

(『万延元年の遣米使節団』 宮永孝)
 1860年3月〜9月 世界一周して帰朝)

「大統領の謁見がすんでからというもの、
 よけいワシントン在住の政府高官や下級官吏などが
 妻子を連れて日本人に面会に来るようになった。

 日本使節らは毎日時間を決めて会うようにしていたが、
 一度に百人も二百人も来ることも珍しくない。
 見兼ねてデュポン大佐が、
 煩わしいようであれば断わってあげましょうか、といってくれたが、
 村垣などは、その国に行ってはその国の礼儀に従うのが当然であるから、
 かまわない、と答えた。

 けれど来訪者の数は日ごとにふえ、毎日数百人にもなった。
 めいめい自分の名を名乗り、握手を求めるので、
 その応待はわずらわしくてかなわぬ。
 中には摘んで来た花とか名刺入れなどを贈って寄こすものもいた。

 連日、引きも切らずに大勢やって来るので、
 不思議に思って聞いてみると、
 はるばる三百里も五百里も遠方から汽車に乗って
 日本人を見物に来たものだという。
 いずれもあの手この手の手蔓を求めて会いに来たものである。

 三使はこの夜もホテルに逗留中の男女数百名と会わざるを得なかった」

「毎日のように面会するありさまは、一遍上人が諸国を遊行して、
 男女に十念
 (なむあみだぶつ≠フ名号を信者に授け、仏に緑を結ばせること)
 を授けるのによく似ている、といってあとで大いに笑い合った」

「海軍造船所では銃砲や小道具(雷管・船釘)に加え、
 船舶用の鋼・鉄の板なども造っていた。
 日本使節らは、まず反射炉・溶鉱炉などを備えた工場から視察を開始した。
 液状になった鉄が土中の鋳型に流し込まれると、
 たちまち大砲(空洞のない)の形になった。
 蒸気ハンマーも見た。
 これは数千貫もあるような鉄鎚(かなづち)で、
 片手でも自由に操作できる」

「蒸気機械を用いていろいろな器物をつくる様子を実見して、
 日本人らはその威力に感嘆し、
 その機械が日本にもあったら、
 どれほど国を稗益するか測り知れぬと思った」

「望遠鏡は自由に動き、
 その先に二尺ほどもあるレンズが付いており、それは屈伸自由である。
 天文台長は、まず月を見せてくれた。
 月の中の模様は、地球図を見るようで、
 それぞれ何の国、何の港といったような名称が付いているのだそうだ。

 次いで木星・土星なども見せてくれた。
 とくに土星は、月に輪をかけたようである。

 天体望遠鏡というのは実に驚くべき機械である」

「馬車は角灯をつけているし、
 街路沿いの人家や商店、
 街灯までがガスの火を燃やしているので白昼のようである。
 提灯やローソクを沢山日本から持って来たが、
 ガス灯のおかげで不用になってしまった。

 夜半、ホテルの北五、六町ほどの所で火が出たが、
 すぐ消防隊が来て、鎮火した」

「日本使節団の団員らはワシントン到着以来、
 ホテルの掃除婦や給仕など日常世話になる者に、
 扇子・錦絵を、子供たちには玩具などを与えた。

 大人や子供に至るまで、
 日本の品を持っていないと恥ずかしいはどの日本熱″が蔓延していた」

「一日、黒人の女が一人、
 従者の中で多少英語のわかる者の所にやって来て、
 ーー私は生れつき色が黒く人から嫌われ、何一つもらうことができない。
 我が身がうとましい。
 白人であれば、子供ですら日本人からいろいろ物をもらっているのに、
 私には物をくれようとする者がいない。ーー
 と、涙ながらに語った。

 黒人女の話を聞いて不憫に思ったその従者は、
 扇子を一本与えたところ、女は大変喜んでくれた」

「その中に十五、六歳位の少女がいた。
 その少女は清楚な身なりをし、
 頭には当時若い娘や中年女性の間ではやっていた
 小さな婦人帽をかぶっていた。
 彼女はトミー(立石斧次郎)に、
 にっこりほほえんだり愛嫡をふりまいたりして、
 盛んにかれの関心を引こうとするのだが、
 トミーの方は素知らぬ顔をしている。

 何を思ったかその少女は、
 トミーが部屋へ行けばそこに押し掛け、
 かれが廊下に出ればその後を付け回すという風だったので、
 とうとう警官の手でホテルの外に連れ出されてしまった」

********************

きょうはここまで。

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