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<<   作成日時 : 2009/05/02 08:52   >>

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文久三年(1863)、
遣仏使節団正使の池田筑後守は二十七歳、
渡仏前は攘夷論者でしたが、
一転、急進的な開国論者となって帰朝しました。

3月10日にマルセイユに着いたとき、
その壮麗な街並みを遠望して、
ただただその文明の格差に呆然とし、
使節団はみな感涙にくれたのでした。

ガス燈によって、
夜も昼のごとく明るいパリの街並みを歩き、
蒸気機関車はいくつものトンネルを抜け、
駅から駅への通信には
すでにモールス信号が用いられていたのです。

想像を絶する先進文明に、
池田筑後守などは、
帰国後、
どうも精神の平衡が保てなかったかのようです。

ところで、
いったい使節団は、
どのような目的で渡仏したとお思いですか。

それはなんと、
横浜港閉鎖の談判のためでした。

朝廷が夷狄拒絶を宣し、
民心も攘夷に傾いていたものですから、
一時を糊塗するために、
無理と知りつつ、
幕府は遣仏使節団を派遣したのです。

いくつもの港を開港しておきながら、
突然港を鎖すなど、
いかに朝廷の命とはいえそれは無理というものです。

もちろん談判は不首尾に終わり、
帰国後、正使の池田は禄を半減せられて蟄居、
副使の河津、目付の河田は閉門となりました。

かれらは、外夷拒絶の談判を命ぜられながら、
口をそろえて開国を主張したのです。

それほど、
西洋文明の衝撃ははかりしれぬものだったのです。

********************

「○○○○○○○のためのエチュード」

連載67回

(『幕末遣外使節物語』 尾佐竹猛)
 遣仏使節 文久三年十二月〜文久四年七月)

「三月十日午後三時マルセーユへ着した。
 これ迄通つて釆た国々とは異り、
 その美麗宏壮なのには千感万嘆、
 唯もう呆れるばかり、
 船から見たのでさへ感極って皆泣いて居る。
 やっと我れに帰り、同じ人間でありながら、
 どうして此辺の有様と我日本とは斯く迄違ふのであるか
 と憤慨悲憤して居る」

「馬車之道の端に凡そ六間づつをき梅の木の如きを植へ、
 其間に硝子燈を設たり、是所謂瓦斯の気にて、
 是より十里程過て石炭を燃し瓦斯を拵らへ諸方へ通ふ、
 日本の大江戸水道の樋の如し、
 地中に通じたる物にて、
 其重宝聊か火を点ずれば直に其光り日月の如し、
 故に仏国市街は夜も昼の如し、
 更に提灯を用ふる人なし」

「此道中凡そ十町余りの山を抜たるにて、
 巾六間程石にて左右をかため、
 尤暗ければ燈を用意して飛鳥の如し。

 此度は三里程の所を前の如く抜たれば、
 空気の通ぜるにや、弥蒸気を強くなし一さんに抜通り、
 都て此辺山多く是より右の如く七つ通り抜けたり、
 人業を以て箇様の山々を抜きし事、
 誠に恐しき事どもなり」

「副使であつた河津伊豆守といふ人が、
 悉く具足を着て兜を猪首に掛け、
 馬に乗つて皇帝の側へ行つて謁見をしたが、
 皇帝非常な満足、皇后も居られ、
 又阿弗利加で死なれた皇太子が十二三で馬に乗つて居られた。

 塩田は側に附いて居つたが是れは黄金の陣笠を冠つて居つた、
 乗つて居つた馬は騎兵の馬であつたが
 向ふから騎兵隊が側臥を吹いてやつて釆た、
 ところが馬が其方へ飛んで行つてしまつた、
 押へる事が出来ない、
 黄金の陣笠を阿弥陀に冠つて
 騎兵隊の中に入つてしまつたと云ふ始末、
 皇帝大きに笑はれて、
 副官をして馬を捕へさせて来ると云ふやうな繹であつて
 我々は遠くから陪観を許されて見て居つたのでした」

「気球の空中を翔るを見る、地を距る二十丈余、
 球下の座板に乗る者三人、戊亥の方を去る頃、其形消ゆ」

「七月十八日横浜に着した、
 この時は国内の攘夷熱は高潮に達して居つた、
 一行はそのことは知らずに、
 先づ京都へ行き壊夷の不可能を述べ
 開国の議を上奏しやうとの説もあつたが、
 先づ将軍に復命するのが順序であるからといふことになり、
 横浜から上陸すると、外国奉行が釆て、
 今江戸へ這入つては不可ぬといふて函館へでも廻はす意向なので、
 使節一行は我々は是非江戸へ行くとて乗馬で出掛けると、
 また途中生麦村で竹本隼人正、栗本安芸守が来て留めたが、
 池田が聞かず飛出すから、他の二人は之を追い行き、
 兎も角もとて、池田宅に三使節が会合し、

 帰朝の趣意を弁明し、
 且つ各国と条約を締結すべきこと、
 各国へ留学生を派遣すべきこと
 などの建白書を出したのであるが、

 その晩に押込めとなり、
 池田は禄を半減にせられ、隠居を命ぜられ、
 河津と河田は閉門となつた。

 しかし一年程して河津と河田はそれぞれ召出されたが、
 池田は精神が落付かぬから静養することとなり
 一子福次郎を連れて岡山へ帰つた」

************************

遣仏使節団はこれにて終了。

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