etude106

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ペルリでござるよ。

ペリー、じゃなくて、
オランダ風の発音で、ペルリ提督。

いいな~、このレトロな感じ。

昭和23年1刷りの、
いま手にしているこの岩波文庫は、
なんと旧仮名づかいです。

題して
『ペルリ提督 日本遠征記』。

この書は、
米国議会の承認を得て
日本遠征に参加したすべての乗組員の記録を、
国の事業として編集したものです。

しかし、
これはいつものことですが、
オープニングがとてつもなくおもしろい。

13世紀の旅行家マルコ・ポーロが
『東方見聞録』のなかで伝えた黄金の国ジパングの伝説、
あるいはプレスター・ジョンの伝説、
やがて忘れ去られてしまうそれらの伝説が、
15世紀の大航海時代になって
ふたたびコロンブスのこころを
突き動かすことになります。

さらに時代が下って19世紀になると、
欧米列強の世界植民地化の波は、
その伝説の国ジパングにも及ぶことになるのです。

日本近海での捕鯨船の寄港地をもとめて、
閉ざされた神秘の国の扉を
アメリカが最初にたたくところからそれは始まります。

すでに私たちは
蒸気機関の発明によって
短期間に急速に進展した西欧産業革命の姿を
見てきました。

『米欧回覧実記』から遡ること20年、
東インド艦隊司令長官ペルリは
1852年11月にノーフォークを出発し
嘉永六年六月(1893年7月)に浦賀に入港するのですが、
『ペルリ提督 日本遠征記』の第1巻は
浦賀にいたるまでに寄港した諸国の記録が
記されているのです。

初めての黒船が
日本に到着するまでの物語を
きょうから繙きましょう。

まずは、
その伝説の国ジパングのくだりから。

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『ペルリ提督 日本遠征記』(一)エム・シー・ペルリ

支那諸海湾及び日本への合衆国遠征隊司令長官
1853年、1854年、日本に来航。

「序  論

 如何なる點から見ても、日本帝国は長い間、
 考へ深い人々の異常な興味の封象となつてゐた。
 そしてこの興味は、二百年来の鎖国政策が、
 努めて、
 その注目すべき国の制度の周囲に漂はしてゐた神秘さのために、
 大いに増大せしめられてゐたのである。
 キリスト教国の人々は好奇心を抱いて注意を怠らなかつた。
 そして各種の職業に従事する数人の熱心家達は、
 当然、この孤立した王国についての正しい知識を、
 少しでも殖さうと望んだのであつた」

「一二九五年、
 マルコ・ポロがアジアに於ける長い滞在からヴェニスに帰つたとき、
 ヨーロッパ人に、多くの不思議についての物語をした。
 この物語は彼等の軽信を刺激したのであつたが、
 その後も長く確信されてゐたものである。

 その諸々の不思議のうちに、
 カタイ Cathay(支那)の沿岸を遙に離れて、
 一つの大きな島が存在してゐると云ふことがあつた。
 その島をジパングZipanguと呼んだ。
 この島とは、日本王国たる現在の日本島である。
 彼はまた、ジパング人の不撓の勇気の物語りをし、
 且つ彼等が、
 常時の全アジアの征服者にしてヨ一口ッパの脅威たる
 強力な忽必烈汗の軍隊を、
 如何にしてうまく防禦し得たかも物語つた。
 彼は人々の面前に、自ら製作して持ち帰つた地図を拡げた。
 その地図には黄海の沿岸線の上に『東方にあたつて一大島あり』
 と記されてゐた。
 何年か過ぎた。
 マルコ・ポロの、物語と地図とは、ゼノアに伝はり、
 多分忘れられてゐたであらう。

 遂に十六世紀に、
 それが或る人の手に帰した。
 この人はそれを無駄に棄て去りはしなかつた。
 その人と云ふのはクリストファー・コロムブスであつた。
 そこで彼の牢固たる心は、ヨーロッパの西方にあたつて、
 当時全く知られてゐない大陸があるに違ひないと云ふ、
 一生一代の確信に到達したのであつた。
 彼の推測を動かす可らざるものにしたのは、
 マルコ・ポロの地図と、
 特にはジパングに関するその記述とであつた。
 コロムブスが出帆したとき、
 航海の末に発見するだらうと望み予期Lたのは、
 ジパング、
 即ちマルコ・ポロのイタリア語手記によれば
 チパンゴGipangoだつたのである。
 それだから(吾々が知つてゐる通り)
 彼がキューバに上陸した時には、
 長く心に抱いてゐた希望の目的地に到達したのである
 と信じたのであつた。
 ヨーロッパからジパングに到る間に、
 一大陸が横たはつてゐることを知らなかつたし、
 その大陸より更に尚西方には、
 巨大な大洋がうねり、
 ジパングに達するには、
 そこを過ぎなければならないと云ふことも知らなかつた。

 彼自身は、キリスト教国のために日本を発見するため
 及び日本を開国するために赴いたのではなかつたのであるが、
 彼が発見した大陸、
 彼が求めてゐた国への途中に横たはってゐた大陸を基礎として、
 神意によつて一国が成立し、この国が、図らずも、
 彼の企図した事業の一部分を遂行し、また、
 西方へ彼を誘惑した計画の
 少くとも一部を完成することとなつたのである。
 この一国家は、ジパングを発見したのでないとすれば、
 世界各国との完全にして自由な交通をなさしめる
 道具となつたのだと私は信ずる。
 その一国家は、
 事実アメリカの沿岸に於て
 コロンムブスの手の中で断れた糸の端を上り上げて、
 それを再び運命のボールに結びつけ、
 そのボールを転がし続けて、自ら解けるままに、 
 偉大なぜノア人が発見した国の土人と開化した住民とをして、
 彼の探し求めてゐた遙かなる国土に足跡を印するに至らしめ、
 斯くして、
 ジパングをヨーロッパ文明の勢力範囲にひき入れようとする
 彼の望みを満たしてやつたのである。
                             
 吾々が述べようと恩ふのは、
 アメリカ人が日本に入り込んだ物語なのである。
 この物語をよりよく理解することを助け、並に、
 以前にあつた知識に何を加へたか
 -若し何かを加へたとすればー
 を明かにすることを助けるために、簡単に、急いで、
 吾がアメリカ遠征隊が母国の岸を離れる前に
 世界の人々の有してゐた資料を概観したいと恩ふ。
 さてその仕事にとりかゝらう」

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きょうはここまで。

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