etude144

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ハリスは確信犯でした。

その証拠を見つけたのです。

ハリスは幕府を欺く
詐欺師であったと言っていいでしょう。

ヒュースケンもグルだったのかもしれません。

これからそれを証明します。

日本の主張は、
このようなものでした。

「一分銀は補助通貨にすぎず、
 銀貨と紙幣を
 その重さで為替交換することがナンセンスであるように、
 一ドル銀貨と一分銀とを秤量して
 同量交換などすることはできない」

つまり
「一ドル銀貨は一分銀一枚と等価である」
と言う正論です。

これに対して、
「銀貨を秤量して同量交換すれば
 一ドル銀貨は一分銀三枚と等価である」
と言うのがハリスの主張でした。

ところで
ハリスが訪日するまでの数年間を
どのようにして送ったのかは
1856年12月25日の日記に
ハリス自身が記しています。

「一八五六年十二月二十五日 木曜日
 メリー・クリスマス!
 このような歓びの言葉を交わすことのできる土地に住む人々は、
 どんなに幸福なことであろう!
 私についていえば、病と孤独の中にあって、
 謂わば一つの牢獄ー大きいことは事実だが - 
 しかし、やはり一個の牢獄の中に住んでいる。
 過去八年間のクリスマスの当日に、
 私がどこにいたかを、ここに記そう。

 一八四九年のクリスマス   北太平洋の海上
 一八五〇年 同        マニラ
 一八五一年 同        ペナン島
 一八五二年 同        シンガポール
 一八五三年 同        香港
 一八五四年 同        カルカッタ
 一八五五年 同        セイロン
 一八五六年 同        日本

 この土地の気候は、望みうるかぎりの、最もよいものである。
 畑は、広く植えつけられ、或は「蒔かれた」小麦で、
 ひじょうに青々としているし、椿の花も見えほじめている。
 注、安政三年十一月二十八日」

しがないアジアの海の行商人、
積荷宰領者にすぎなかったハリスですが、
その仕事ゆえ
長崎出島の「一ドル一分」の為替レートも
当然のように知っていたでしょうし、
日本では「一両小判は一分銀四枚」なのに
上海では「一両小判は一分銀十六枚」であることも、
貿易商人の死活を制する為替レートとして
承知していたはずです。

つまりこう言うことです。

本来、4ドル銀貨は一両に相当します。

しかしハリスの主張を受け入れると、
4ドルは一分銀12枚となりますから、
3両(小判三枚)と交換できます。

3両を上海にもっていくと一分銀48枚になります。

48枚の一分銀を日本に持ち帰ると
12両と交換できます。

本来一両であるはずの一ドル銀貨4枚を元手に、
横浜上海を一往復するだけで
12両を手にすることができるのです。

(詳しくは佐藤雅美『大君の通貨』をお読み下さい)

このからくりで
ハリスは巨富を手にするのですが、
ハリスがそれを罪として意識していたのかどうか、
それが疑問でした。

それが、
たったいま『ヒュースケン日本日記』を読んでいて
解明されたのです。

ハリスは確信犯でした。

その理由を申し上げます。

(つづきはまたあした)

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