etude163

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カッテンディーケ『長崎海軍伝習所の日々』に記されている
日本初の蒸気機関について、
薩摩の集成館学芸員の方は
カッテンディーケの誤記であろうと言います。

というのは、
『長崎海軍伝習所の日々』は追想録として書かれていて、
日々の日記ではないからというのです。

しかしもともとこの著作は
『滞日日記抄』と題されていて、
詳細な日記をもとに纏めたものであろうと推測されます。

つまり、この蒸気機関が、
カッテンディーケの記したように
1851年(嘉永四年)の製造であるなら、
それはペリー来航の二年前、
長崎海軍伝習所が開設される四年前のことで、
ほとんど日本人独自の手で製造された
と云うことになるのです。

それが事実であれば、
とても魅力的ではありませんか?

西洋人の手を借りず、
フェルダム教授の『水蒸機盤精説』の図解を見ただけで、
日本の職人たちが創りあげた日本初の蒸気機関。

それを、
カッテンディーケの誤記であるとして片付けるのは
いかにも惜しい。

こだわる理由のひとつに、
「江戸で初めて造られた蒸気機関」と記されていて、
薩摩ではなく、
江戸のどこかで造られた可能性があると思うのです。

集成館学芸員の方が誤記であろうと推測したのは、
その蒸気機関が
集成館事業のなかで造られたものであろうと
考えられたからです。

というのは、
集成館事業によって初めて完成した蒸気船『雲行丸』は
1855年(安政二年)に完成したとされているからです。

しかし島津斉彬が藩主になった1851年(嘉永四年)に、
すでに江戸藩邸で
蒸気動力の研究に着手したとの記述も見られるから、
「江戸で初めて造られた蒸気機関」
という表現は
あながち誤記とは云えないかもしれないのです。

どなたか詳細をご存じの方は
いらっしゃらないでしょうか?

もうすこし調べてみようと思います。

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