御林守河村家の歴史44

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脳科学者茂木健一郎先生と御林守河村家住宅


河井宗忠戦死のとき、今川方の遠江侵攻は無かった。

河井宗忠は国人間の「不慮の取り合い」によって討死したのである。

「被官人依不慮之取合」の出典を記そう。

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『静岡県史』資料編7中世三-二九二・二九三号
六月十六日、寛親伊豆国土肥次郎に、
遠江守護斯波義寛への協力決定を感謝し、
その味方への周知を依頼する。

  二九二 寛親書状(切紙)古文書纂

就遠州之儀、従屋形管領へ依懇望被申子細候、
去春以来当国致滞留候、就其自屋形以書状被申入候、
尤可致持参候之処、西口調儀火急ニ付而、顕定得御意、
早々可罷立之由、被申付之間、乍存候、右趣者、
遠州之儀無故駿州今川(氏親)方競望候、雖被存無念至極候、
被官人依不慮之取合、被打置候キ、
尾・三両国属無為候、信州之儀一味之間、当秋必可有入国候、
関東御事御一和之上者、此時御本国豆州之事者不被及申候、
為御合力向駿州御調之儀奉談之由、被申候処、可然御返事二候条、
至之時、寛親面目之至候而、罷上候、
然者以書状被申筋目、御味方中被仰合、別而御入魂本望二可被存候、
委曲同名左衛門方へ申之間、定而伝達可被申候、
御返事被懸御意候者、所仰候、恐々謹言、
  六月十六日     上野介寛親(花押)
   謹上  土肥次郎殿

(下線筆者)
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つづきはまたあした。

14.04.14.
(筆者 島田ロータリークラブ幹事 河村隆夫)

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