御林守河村家の歴史78

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御林守河村家を取り巻く石垣


昭和四十九年に秋本太二氏が発表した
「今川氏親の遠江経略」への反論をまとめよう。

反論の要旨をひとことで言うなら
「明應五年九月十日に今川氏親が河井氏を攻撃したという記録はない。」
ということである。

秋本氏は、
① 明應五年七月廿八日に今川氏親が長松院に下付した禁制
② 『円通松堂禅師語録』にある三個所の記録
③ 同年九月廿六日に今川氏親が長松院に下付した寺領寄進文書
以上を論拠として仮説を立てた。

しかし繰り返し言うように、
以上三点の史料のどこを探しても
今川氏親が河井氏を攻撃したとする記録はない。

唯ひとつあるのは、大塚勲氏が発見した史料のみであって
これについて大塚氏はこのように述べている。

「これは斯波一族と思われる上野介寛親の書状
(古文書纂所収六月十六日付書状)に
『遠州の儀、故なく駿州今川方競望、
(中略)被官人不慮の取合』とあるような、
今川氏の遠江侵攻前夜の混乱の中での国人たちの争いの一齣であろう。」

すなわち上記三点の記録に
④ 上野介寛親の書状(古文書纂所収六月十六日付書状)
この史料を加えると、秋本氏の立論は成立しなくなるのである。

つづきはまたあした。

14.05.18.
(筆者 島田ロータリークラブ幹事 河村隆夫)

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