山岡鉄舟鉄扇(3)

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(写真は 伊佐新次郎峯満書 不鮮明ゆえ再撮影中
 写真は 鍔 上は会津正阿弥 鑑定書付))

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山岡鉄舟鉄扇(3)

伊佐新次郎岑満は、
勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の書の師として知られています。

その伊佐(号如是)の書が我が家に残されているのです。

伊佐は、明治9年には牧之原の中條家隣に移り住んでいましたから、
中條景昭の朋友伊佐を招き、
酒宴を催したときにしたためた伊佐新次郎揮毫の書です。

伊佐は酒好きで酒を振舞われた礼に書を残した、
と言い伝えられています。

また伊佐については、
米国総領事ハリスに唐人お吉を世話した
という話しがよく知られています。

タウンゼント・ハリスは
貧困から身を起こして、
きわどい人生を送りながら東アジアに流れ着き、
積荷宰領者として東アジアの通商貿易に携わって、
やがて貿易商人の浮き世暮らしにけりをつけようと
日本公使の猟官運動に精を出して
ようやくそれを射止めた男です。

商社の経営までしていましたから
日本の為替事情をよく知っていて
為替差益でたくわえた富を母国に送っていました。

外交官などというと聞こえはいいのですが
じつは配下のヒュースケンともども
米国からの流れ者にすぎないと言ったら言い過ぎでしょうか。

伊佐新次郎は筋目正しい幕府直参旗本伊佐家の嫡男ですから、
彼らの無礼な振る舞いに耐えかねることもあったでしょう。

その後ヒュースケンは惨殺され、
翌年には有名な生麦事件が起きるのです。

ともあれ我が家に一幅の掛け軸を残し、
山岡鉄舟の書の師であった伊佐新次郎は、
明治24年に没して谷口の法林寺に葬られています。

つづきはまたあした。

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