茶と剣(3)

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(写真は 初代内閣総理大臣 伊藤博文)

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茶と剣(3)

いつの世も、短絡的とも言える急進的な若者によって世界は変革される。
急進派が正しいのか守旧派が正しいのか、それは歴史が決めることで、
その瞬間を生きた者たちは皆、それぞれの正義を生きたのである。

明治政府の初代内閣総理大臣伊藤博文は、
テロリストであり英国大使館襲撃の実行犯であった、と言うこともできる。
しかしほとんど彼ひとりの手で憲法は創造され、明治を近代国家としたのは彼である、とも言える。

博文の父は一介の農民から中間の養子となり、つぎに足軽となった。
その子博文が松下村塾に入門し、高杉晋作、久坂玄瑞らと学んで、
長州ファイブとしてロンドンへ留学する。

伊藤博文もそうだが、当時の身分制度は、
勝海舟の祖父米山検校が旗本株を買って旗本となったように、
従来思われていたほど固定化されたものではなかった。

ところで、ロンドンでの彼らを世話したのは、
ウィリアムソン合成の名で知られるエーテル合成法を発明した
アレキサンダー・ウィリアムソンであった。
ちなみに21世紀の高校化学の授業でも、このウィリアムソン合成法は教えられている。

ウィリアムソンもそうだが、
石造りのロンドンの街並みを彼らはどのように見たのだろう。
夜の街にはガス燈が輝き、都市間には電信網が張りめぐらされている。

飛脚が手紙を届ける日本のことを思うと、絶望的な文明格差であった。
日本改革は急務である、と彼らは駆り立てられるような使命を感じた。

もちろん幕府にも、勝海舟のような男はいた。
彼は開明的な慧眼の持ち主で、
長崎海軍伝習所では、カッテンディーケやポンペなど西欧の教師から、
数学、物理学、化学、航海術などを学んだ。

三角関数や微分積分法を修めた勝は、
門閥ゆえに身を聳やかして勝を見下す幕閣を前に、
なにを思ったのだろうか。

その勝が幕府を代表して、討幕軍司令官西郷隆盛と会談し、
江戸無血開城を決するのは数年後のことになる。

つづきはまたあした。

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