山岡鉄舟鉄扇(4)

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(写真は 勝海舟)

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山岡鉄舟鉄扇(4)

山岡鉄舟をとりまく人々の背後に、
偉人勝海舟の姿が見え隠れします。

勝海舟は、剣聖男谷精一郎や島田虎之助から剣術を学び、
直心影流の免許皆伝となりました。

(ちなみに男谷が生まれた寛政10年(1798)は、
 島田市指定文化財「河村家住宅」が建てられた
 5年後のこと。
 また、勝が生まれたのは文政6年(1823)ですから、
 文化露寇(1806~1807)とよばれる
 ロシア特使ニコライ・レザノフの
 北方襲撃から始まる幕末の動乱が幕をあけ、
 西欧列強植民地化の魔の手が
 ひそかに日本に忍び寄っていたころのことでした。)

勝は剣の鍛錬だけではなく、
とくに虎之助にすすめられて修行した禅の精神が、
人生の背骨になったようです。

剣禅一如について
『氷川清話』には、このように書かれています。

「禅学修業
 かの島田という先生が、剣の奥義を極めるには、
 まず禅学を始めよとすすめた。
 (略)
 この座禅と剣術とがおれの土台となって
 後年大そうためになった。
 瓦解の時分、万死の境に出入して、
 ついに一生を全うしたのは、
 全くこの二つの功であった。
 ある時分、
 たくさん刺客やなんかにひやかされたが、
 いつも手取りにした。
 この勇気と胆力とは、
 ひっきょう、この二つに養われたのだ」

剣と禅については、『氷川清話』のさまざまな個所に書かれています。
しかしそれほどの達人でも、岡田以蔵に助けられたことがあるのです。

おなじく『氷川清話』から。

「人斬り以蔵のこと
 (略)
 ちょうど寺町通りで三人の壮士がいきなりおれの前へ現れて、
 ものをもいわずに切りつけた。
 驚いておれは後へ避けたところが、
 おれの側にいた土州の岡田以蔵がにわかに長刀を引き抜いて、
 一人の壮士をまっ二つに斬った。
 「弱虫どもが、何をするか」と一喝したので、
 あとの二人はその勢いに辟易して、どこともなく逃げていった」

と、このようなこともあったのです。

勝海舟は牧之原開墾方の生みの親ともいわれ、
とくに中條とは親交を結んで、
明治29年、中條景昭の葬儀委員長は勝海舟が務めました。

平成8年の中條景昭百回忌法要のとき、
現当主中條昭夫様からお聞きしたことですが
「お祖父様は葬儀のあいだ勝海舟の膝の上に抱かれていた」
ということでした。

中條景昭は幕府講武所剣術教授方として、
剣の達人でしたが、
勝の朋友山岡鉄舟も剣客で、
一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖でした。

このように、中條景昭の背後を守っていたのは、
勝や山岡など維新の立役者たちでした。

つづきはまたあした。

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