梨の実のルフラン

梨の実のルフラン

裏庭に一本の梨の木がたっています。
米倉やお蔵につうじる小道のかどに、それは昔からあって、毎年今ごろになるとたくさんの実をつけます。
おさないころは、虫よけのために紙の袋をつけて、ちょうどお盆のころに大きくみのるのをまって仏壇のお供えにしました。

いちど、仏壇の梨を囓ってひどく叱られたことがあります。
お坊さんがお経にくる直前のことで、両親があわてていたのを思いだします。

今朝、まだ小ぶりの梨をもいで、かじってみました。あっさりした味で、まだ甘味がほとんどありません。その果汁が舌のうえにひろがり、喉をゆっくりとおちてゆくとき、青い梨の香りがして、そのころを思いだしました。
このやさしい香り、そしてその果肉の舌ざわり、ほのかなあまみ、それらが調和して、私の記憶を四・五歳のころへ呼びもどしました。

叱られた私は、かじりかけの梨を片手にもって、ときおりしゃくりあげながら、池のほうへあるいてゆきました。池のまん中には木の橋がかかっていて、その橋のうえから池をのぞくと、錦鯉が何びきもおよいでいます。私のお気にいりは三色(さんけ)の丹頂で、白い肌に、朱色のちいさな帽子を頭にかぶっているのがとてもかわいくみえました。かなしみの癒えぬままに、ぼんやりと鯉をながめていると、池にうつる空を、初夏の雲がしずかに流れてゆきます。まつげから、なみだがこぼれ落ちて、水面にちいさな波の輪をつくりました。

今朝、梨の実をかじったとき、ふうっと時をこえて、気がつくと、おさない私がなみだの梨をかじっていました。
ちょうど、交響曲スメタナの最後に、忘れていた主旋律が、それはかすかに、はるか遠くからかえってきたときのように、梨のやさしいかおり、そしてそのしたざわり、ほのかなあまみ、それらが私にふしぎな惑乱をもたらしたのです。

ときおりくるrefrainは、私に、時をこえる陶酔をはこんできます。
七月の朝にゆめみる梨の実のルフラン。

梨の木の左奥、
手前がお蔵、むこうが米倉。
200625梨の実のルフラン.jpg

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