etude86

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(写真は、茂木健一郎先生扮する坂本龍馬)
いまパリにいます。

岩倉使節団は、
ホノルルからサンフランシスコへ、
そしてアメリカ大陸を横断してイギリスへ渡り、
イギリス全土を縦横に旅したのちに
カレーの港へ着きました。

そうして今はパリにいるのです。

それでもまだ旅半ば、
『米欧回覧実記』も、
全五巻の本のちょうど二冊目の半ばです。

久米は、これほど多くの国情を視察して
無数の工場をつぶさに記録し、
それぞれの風土や歴史やについて深く思いをいたし、
そのつど文明論をしたためているのですが、
きょうご紹介する一節ほど示唆に富んだ文明批評は
まれです。

それはいつの時代
どの国にも起こりうるような現象で、
なんだか現在の我が国を見るような思いが
しないでもありません。

それは、
他国の繁栄にに目を奪われて、
自国の文化をないがしろにし、
他国の猿まねをして、
やがて自国の長い歴史が育んだ貴重な技術や産業を失って
衰亡してゆくという姿です。

いうまでもなく我が国とアメリカとのことを言っています。

賢い少年が米国留学してアメリカ文化に心酔し、
大統領の前でプレスリーを熱唱する首相に仕えて、
グローバルスタンダードなるあやしい標語をかかげて
(じつはそれはアメリカンスタンダードにすぎないことが
今やあきらかになったのですが)、
日本をアメリカナイズする旗振り役をつとめたことは
記憶に新しいところです。

もっとも彼に同情はします。

なぜなら、
わたしも逆説的に
「日本はアメリカの属州になるべき」
とよく酔言するからです。

それほど日本はアメリカ化してしまいました。

GHQが作成した憲法を掲げている国ですから
(異論が多々あることは承知しています)、
そうして自国を米軍が守り、
世界一の軍事大国のたくましい腕に抱かれて、
うっとりとしなをつくっている我が日本国ですから、
いっそ日本をアメリカにしてしまえ、
とやけになるのもわからないでもありません。

英語を自在にあやつれることは
いまや基本能力のひとつになりつつありますが、
それだけでは英語圏のネイティブの少年にも劣ります。

言葉は思いを盛る器であって、
つまり道具にすぎません。

どれほどすぐれた茶碗でも、
それだけでおなかを満たすことはできないのです。

昨今の日本の外交官たちが、
じつに語学が達者で、
他国の歴史風俗に通暁していても、
海外の社交界で重きを為さない理由は
そこにあると言われています。

つまり、
自国を誇りに思い、
自国の歴史や、
日本を日本たらしめている思想を語ることができないのです。

自国の存在意義を、
世界に向けて誇らしく主張できない外交官など
無用です。

その亡国の姿が、
ルイ王朝にあこがれるドイツ国民の姿として描かれています。

再度申し上げますが、
この一節は、
現今の日本にとって極めて示唆に富む内容です。

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「○○○○○○○のためのエチュード」

連載86回

(『特命全権大使 米欧回覧実記』 久米邦武編
 1871年12月~1873年9月 世界一周して帰朝)

「一八世紀初頭には
 ルイ一四世はヨーロッパで最も敬愛される帝王と称されるようになり、
 その栄華の光は、日月と比べられるはどにもなったのである。
 この時代にドイツの王侯たちは、ルイ一四世の厚誼を得たいと考えて、
 きそってパリにやって来た。
 そしてフランス王の赫々たる威勢を見、
 また王宮や諸官庁の際立った壮大さに目がくらむような思いをし、
 すっかり心酔してしまった。
 彼らはみなフランスの言葉やエチケット、
 風俗を模範として自国の宮廷にも移し植え、
 同時に公会の制限を脱して
 フランスのような専制政治の政体を基準としようと考えた。
 従来国民のあいだからとかく紛糾した議論が出ていたのを、
 王権の虚飾的外観によって威圧してしまうことこそ、
 すぐれた政策であると考えたのである。
 以来、ドイツ貴族は、フランス語を使い、フランス風の服を着、
 フランスの風俗を真似しなくては発達できないと考えるようになった。
 そこで貴族の少年たちはみなパリに遊学し、
 すっかりフランス風になってしまったのである。

 その結果かつてドイツが盛んであったころには
 学問にすぐれた人物を出し、富んで盛んであった都会も
 次第に荒廃して利益が上がらなくなり、
 商工業者たちは
 フランスの先進的なものを真似することで利益を得ようとして、
 自国の技術を捨ててしまった。
 こうしてドイツで製造される品物は次第に価値を失い、
 生産は衰微して行った。
 やむを得ずさらに
 フランス製品の模倣をして恥とも思わないようになってしまったが、
 こうなると新発明のものを創出する力も失せ、
 研究心もなくなってしまい、
 製品の商標まで
 フランスの偽物を作って市場に出すまでになってしまったのである。

 大学者「ハウスシニューク(不詳)」氏が書いたドイツの歴史には、
 このことを次のように批評している。

 『当時のドイツの貴族たちが貴重な時間と金を無駄遣いして
  フランスに遊学した結果はほかでもない。
  ただ軽薄に浪費をこととし、欲望ばかりがむやみに強く、
  倣慢無礼なふるまいをしてあらゆるものを軽蔑し、
  廉恥心や道徳心を失ってしまった。
  放埒な快楽に走り、こっけいな虚飾こそ大切なことと考え、
  いたずらに外見を飾って
  人をだますようなことばかり考えるようになった。
  そして、自国を嫌悪して外国をうらやむような風習を
  ドイツに持ち帰るだけだったのである。
  国政を担うべき人物も、
  みなこの貴族たちに随行して学んだ人達であったから、
  その行動も、
  なれなれしい態度で
  人のごきげんをうかがうようなものになるばかりであった。
  フランスの悪い習慣がドイツ全土を毒したことは、
  このとおりである。
  あらゆる人々がこのような悪風に心酔し、染まってしまったので、
  誠実な人までも
  やむを得ずフランス流の服を着けるということにまでなり、
  純粋なドイツの風俗習慣も、ほとんど残らなくなった。

  フランスの革命以来、
  ドイツの諸国政府は
  自国の生産が衰えて荒廃してしまったことに気が付き、
  技術学校を設置して独自な技術の保存を図った。
  しかし、すでに職人たちが貧しく無気力になっており、
  深い知識も失ってしまっていたので効果が上がらなかった。

  だいたいドイツという国は、
  オーストリアとプロイセンという
  二つの大国にまたがっていたのであり、
  デンマークやオランダを侵略したこともある。
  ロシアの帝室もドイツの貴族
  (ホルスタイン・ゴットルプ家との関係をいう。第六二章参照)
  の末商である。
  全欧州の貴族たちは実にドイツに出自を持っているのである。
  だからその気風は自然に被支配者にも伝わり、
  欧州全域の風習を作り出すことが十分できる力を持っている。

  だからこそフランス風の風俗がいったんドイツ貴族の心を捕らえると、
  ヨーロッパ中にその(貴族たちの)影響が広がってしまい、
  フランスの技芸、言語を尊び、流行を模倣し、
  フランスに富強を集中させて
  今日に至るようなことになってしまったのである』と」

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きょうはここまで。

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