etude156

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(写真はベルンハルト・リーマン)

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それはおおきなお月さまでした。

夕暮れの街の上に
見たこともないほどおおきな満月が浮かんでいました。

昨日は祝日でしたけれど、
塾の授業がありましたので、
私はそれを大井川の鉄橋をわたる車中から見たのです。

あれが衛星なのかこちらが衛星なのか
おもわず思いまどうほどの大きさでした。

ところで
月と言えば
橋本左内が海防掛勘定奉行の川路聖謨を評するのに
「月の水中に有りとは見えて手にとれ難き語らいぶり」
であるというのです。

手堅く、
容易に本心をあかさない川路の人柄を
実に上手にとらえています。

(『ゴンチャローフ日本渡航記』で絶賛された
 川路聖謨を思い出してください)

さらにこの川路左衛門尉聖謨が、
ニュートンのことを知っていたのも確かなようです。

(出典を忘失してしまったので、
 それをいま示すことができません)

しかし、
幕末の英才たちが
仮に物理学や化学を学んだとしても、
その基礎を数学に置いていることを
どこまで深く認識していたのかどうか、
怪しいところです。

江戸時代の数学について
以前ブログで紹介したことがあります。

それはオーストラリアの有袋類のように、
あるいはガラパゴスのゾウガメのように、
中国からもたらされた数学が
鎖国の島で特殊な進化の道を辿って
和算となりました。

それゆえ、
ギリシャで生まれてイスラムやインドに渡り、
やがて中世ヨーロッパに伝えられて
物理化学とともに進化した西洋数学とは、
まったく異なる相貌をしていたのです。

ですから、
いかに川路聖謨が和算に通暁していたにせよ、
ニュートン力学の本質は数学であることを
どこまで理解し得たのかは
疑問の残るところです。

また、
高杉晋作が上海に渡航したとき
並み居る黒船や
高層建築群を見て、
西洋科学文明の核心が数学にあることを悟ったと
どこかに書いてありましたが、
ほんとうでしょうか?

政治体制や憲法などは
西洋の制度や法文を採りいれて
手を加えれば済みますが、
高度な数学や実験科学は
一朝一夕に習得できるものではありません。

ペリー来航のころ
すでにロバチェフスキー幾何学が確立され、
のちにアインシュタインによって
一般相対性理論に応用されるリーマン幾何学も
提唱されていたのです。

また、
二十世紀物理学の根幹をなす群論を創造して
その論文の片すみに
「時間がない」と走り書きして決闘に散った
エヴァリスト・ガロアは、
そのとき二十歳で、
それはペリー来航の二十年も前のことでした。

鎖国ゆえに
日本の英才たちは西洋数学にふれることができず、
これは明治以降の日本社会に、
文官優位という致命的な弱点を残すことにもなるのです。

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