etude185

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
ボタンを押していただければ幸いです

生麦事件のことについて
ポンペは詳細に記しています。

それは島津久光が
勅使をともなって京の宮廷に向かう途中で起きた事件でした。

神聖にして侵すべからざる勅使の行列に
イギリス民間人数名が
馬上のまま乗り入れてきたのですから、
鎖国下の日本ではこれを斬り捨てて当然のことでした。

ポンペの『日本滞在見聞記』から引用しましょう。

「しかし私は、
 世の中の冷静な、
 また思慮深い人々におたずねしたい。

 リチャードソンのしたことは
 気違い沙汰ではなかっただろうか? 

 東洋の諸国のうちでどこの国に、
 行列の真中を馬で横切るような無礼を
 そのままにしておくところがあろうか?

(というのは、
 この行列は朝廷へ向う特使という
 公式の意味をもつものであった)

 そのままで不問に付してすまされるものであろうか?

 それは明らかに、否である!

 もしそんなことが
 ロンドンで起ったとしたら辛抱できるであろうか~

 たとえば、
 イギリス国王陛下が議会の開会式に臨まれる途上で、
 こんなことが起ったらいかがであろうか~

 この島津が彼を殺せと命令する権利のないことは、
 私もよく承知している。

 けれども、
 東洋の君主というものはどういうものであるか、
 またこのような特使というものは
 神聖犯すべからざる性質のものであること、
 このような行列は今も昔も
ヨ一口ッパ人に騎馬で横切ることを
許すべき筋合のものではないことを、
どなたもよく理解していただきたいのである」

この事件の三ヶ月後に帰国したポンペは
偶然列車の中で
斬殺されたリチャードソンの伯父と出会うのです。

ポンペが生麦事件のあらましを話すと
その純朴な老人はこのように言いました。

「まさにその通りで、
 チャールスはいつも向う見ずであり頑固であった。
私は、彼は結局そんなことで死ぬんだろう、
といつも予言していたのだ。

気違い同然の性向から
イギリスを早く出て行かねばならないことになったのだ。

島津のしたことは自分の意見としても正しいと思う。

イギリス政府はあの場合、
何もタッチすべきではなかったのだ。

 しかるにイギリスの外務大臣ラッセル伯は
 私とは考えが違っていた」

イギリスはただちに賠償金十万ポンドの支払いを
薩摩藩に要求するのですが
その支払いをめぐって
ついに薩英戦争が勃発します。

その戦争についてのポンペの批評も
抄出しておきます。

「ことにイギリスの新聞紙は、
 当時多数の論説を掲げて鹿児島砲撃のことを述べたが、
 イギリス艦隊にとってはあまり有利な記事ではなかった。

 しかし提督からの公式報告を読んだ人は誰でも、
 私と同じ意見を抱くことと信ずる。

 すなわち懲罰のための鹿児島砲撃は、
 懲罰としては十分であったという意見である。

 しかしこういったからといって、
 私がこの征戦を是認したなどと考えてはならない。

 私の考えるところでは、
 リチャードソンの無軌道ぶりなんてものには、
 イギリス政府がこのような行動をとるなどという価値は
 まったくないものである。

 事件はすべてまったく彼自身に責任があるのである。

 島津にしても、
 自分のしたことをみずから裁くほどの権利を
 誰からも与えられているわけではないのであるが、
 この悲劇的な衝突の責めは誰が負うというものでもない。

 その責任は結局は、
 実はただ犠牲者リチャードソンその人にあるのである」

このようにポンペの日本によせる心情は
驚くほど温かく、
欧米のマスコミの論調に似て
列強の横暴に批判的でした。

つづきはまたあした。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック