骨董の価値

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御林守河村家十二代 河村宗平

「なにも売らない、なにも買わない」をモットーにして守ってきた河村家の伝来の品々は、
わすかなものですが、すべて銀行の金庫に納めてあります。

お宝といえばテレビのお宝鑑定団。

これには功罪相半ばするところがあって、強いてその罪を唱えれば、
すべての古物を、東京からみた経済的価値基準のもとに断定する、
という古物への一方的な価値基準を人々に植えつけたところにあります。

ひとつの古物が、
その所有者個人にとってのみ価値があったり、
あるいはただの石がその家のお宝だったりするのはよくあることです。

若いとき、恩師にこんなことを言われました。

「君のはるかまえの祖先が、崖をすべり落ちそうになったとき、
一本の松の枝にしがみついて助かったとする。
そのおかげで、いま君が存在しているとしてみよう。
このようなことは実際よく起きることだが、
そのとき枝が折れていれば、いま君はここにいない」

たしかにいまここにいる私の命は、
大げさに言えば人類の発生から私にいたるまでの
無数の奇跡の上に受け継がれてきたということです。

無数の祖先のうちのただ一人でも、崖から足を踏みはずして命を落としていれば、
今の私は存在していません。
命はそのように尊いと教えてくれたのです。

この話をちょっと広げて、
たとえばその話が子孫につたえられ、末代が繁栄したとすると、
崖の上に立つその木は、一族の御神木として崇められたのかもしれません。

その木は、他人にとっては何のへんてつもない松の木であっても、
その一族にとっては、それはまぎれもなく御神木なのです。

骨董品や古物もそれと同じで、
すべてを経済的価値基準で判断するのは誤りです。

それが、歴史的価値というものです。

ということで、私がこのところ気に入っているものは、
写真のアルコール・ランプです。

うす緑色のちいさなアルコール・ランプは、
たまたま曾祖父の文机の抽出からみつけたもので、
「静岡県榛原郡茶業史」とともにおさめられていました。

その本をひもとくと、明治時代なかばに、
曾祖父が高林式粗揉機
(そじゅうき・蒸した茶葉を熱風で揉みながら乾かす機械)
の完成に尽力したことなどが書かれていますから、
曽祖父は、なにかの必要があって、
このちいさなアルコール・ランプで
製茶の実験をくり返していたのかもしれません。

あるいは、
その後曾祖父が「静岡県製茶監督員」に任命され、
静岡県全域の茶業を監督する立場にあったとき、
茶葉の着色嫌疑などをしらべるのに使ったのかもしれません。

いずれにせよ、
このアルコール・ランプのあわい緑色は、
私に、百年の時を越えさせます。

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