テーマ:河村宗平

中止します。7/7 「開かずの扉」展示会

7月7日(土)に予定していた「開かずの扉」展示会を中止いたします。 私はいくつかの役に拘束され、妻もまた、公立小学校に月金で勤めておりまして、 石畳の草取りの時間さえありません。 多くの皆様からご要望をいただきましたのに、残念ではございますが、 今回の展示会は中止させていただきます。 6月29日(土)10:30&#…
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香り緑茶 宗平

「香り緑茶 宗平」 予約受付中です! TEL 0547-46-1195 FAX 0547-46-4133 「宗平せんせい」のコーナーができました。 JA直売店の横です。 静岡新聞夕刊(180411) 中日新聞朝刊(180417) 静岡新聞朝刊「清流」(180509…
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中日新聞朝刊 曾祖父河村宗平の記事です。

中日新聞17日朝刊 曾祖父河村宗平が紹介されました。 「宗平せんせい」「香り緑茶 宗平」 をよろしくお願い申し上げます。 JA大井川茶業センター長山内茂様 ほんとうにありがとうございました。
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「香り緑茶 宗平」 予約販売開始します!

「香り緑茶 宗平」 今年の初夏のお茶は、河村宗平ブランド「香り緑茶 宗平」をどうぞ! 皆さま、河村宗平ブランド「香り緑茶 宗平」は、5月下旬から限定販売するそうです! 予約のお申し込みはお早めにどうぞ。 とはいっても、販売するのは私ではなくJA大井川(0120-48-4188)です。 JA大井川地域…
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『製茶師競』ってなに?

河村宗平遺品 『製茶師競』ってなに? それは、製茶師(手揉みの技術者)の番付表、です。 写真は明治25年のもの。茶師は日当1円以上の高給でした。 『製茶師競』には、静岡県全域の製茶師が、相撲の番付表に似せて、大関からはじまり前頭まで東西に分かれて整列しています。 その中央上部に、静岡県のお茶の神様、多田…
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多田元吉

多田元吉ってどんなひと? 静岡の近代茶業の神様と言ってもいいひと、河村宗平を茶業に導いたひと。 元幕臣、明治維新後、はじめは内務省技官、のちに農商務省一等技官。 明治 2年、金谷原開墾方が入植したころ、東京から静岡にうつり住み、丸子で茶の栽培をはじめました。 明治 8年、明治政府は多田を清国に派遣しま…
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心形刀流免許之証・山岡鉄舟鉄扇・景明一次史料発見

河村小次郎遺品 免許之証 中條克太郎景明は、父景昭から北辰一刀流、心形刀流の指南を受け、撃剣師範として暮らした。山岡鉄舟最後の高弟。 明治35年に克太郎設計の旧制榛原中学講武館開館。撃剣部師範として弟子と共に指導に当たる。一番弟子は大関勝平。勝平弟小次郎も克太郎の弟子。 当時静岡師範学生の小次郎は、師範学校…
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明治40年、河村宗平に、宇治茶研究所から製茶教師の招聘状

明治40年、河村宗平49歳のとき、宇治茶の本拠地である「京都大阪奈良滋賀三重製茶研究所」の緑茶部教師に招聘されている。 もちろん明治初年には金谷茶より宇治茶が、質量ともに圧倒的に優位であった。夏のアイスに宇治金時があるように、いまでも宇治茶はブランドである。 明治初年には、剣士の拓いた金谷原大茶園はいまだ完成していな…
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河村宗平遺品

河村宗平遺品 1.龍文堂(りゅうぶんどう)鉄瓶・炭壺 龍文堂は、江戸末期から昭和33年頃まで8代続いた京都の鉄瓶屋。 これは御林守十一代河村市平が、幕末から使いはじめたもので、カボチャの形の龍文堂鉄瓶です。 夏目漱石の『吾輩は猫である』のなかに 「贅沢な人が龍文堂に鳴る松風の音を聞かないと寝つか…
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愛媛県緑茶製造試験場

愛媛県が河村宗平に宛てた「緑茶製造試験場教授を嘱託す」という書状がある。 これには明治30年となっているが、実際には29年から招聘されているので、29年の嘱託状は失われたのであろう。 宗平38から39歳にかけてのことである。 初期の明治維新は生糸と茶によって成し遂げられた、と言っていい。 とりわ…
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明治43年8月6日 智利硝石施用第一回製茶品評会

河村宗平は品評会の審査員をしていた。 明治43年10月8日午前9時から 静岡市物産陳列館で 「智利硝石施用 第一回製茶品評会褒賞授与式」(写真下)が開催されたことは、昨日紹介した。 その2か月前、8月6日に 曾祖父河村宗平は 「智利硝石肥料施用 第一回製茶品評会」の審査員を嘱託されている。(写真上)…
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茂木健一郎先生との十年(3)

それは満天の星空に突然超新星のように光芒を放ちはじめた瞬間の、 瑞々しい力にあふれた茂木先生でした。 以下、「eコミしまだ」より転載します。 ************************ 2005年6月6日(月曜日)  茂木健一郎氏御来訪 カテゴリー: 河村家の歴史 茂木健一郎先生 - kawamur…
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続・チリ公使晩餐会(明治43年)

昨日につづいて、 明治43年10月8日、 浮月楼で催された晩餐会に先だって 静岡市内で開催された二つの会の式次第が、 招待状に同封されている。 (浮月楼は最後の将軍徳川慶喜公が  明治二十一年まで居宅としていたところで、  その後静岡市に買いあげられ、  明治二十四年から「浮月亭」、  翌年からは「浮月…
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チリ公使晩餐会(明治43年)

曾祖父河村宗平 チリ公使主賓の晩餐会が、 明治43年10月8日、 静岡の浮月楼に於いて開催されたとき、 曾祖父河村宗平に届いた招待状が残されている。 明治期産業史を研究されている方々には 興味深い資料とおもわれるから、 招待状の全文を 写真と共に掲載する。 曾祖父が 父を御林守河村市平、 母を栗田土…
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瀧利郎、逝去!(水木しげる戦友)

(表紙絵・水木しげる、文・瀧利郎) 平成22年8月24日、午前3時45分、瀧利郎逝去! 8月25日、5時から通夜、 8月26日、11時から葬儀。 会場、焼津中央愛昇殿(イオンショッピングセンター北側・焼津市石津)。
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NHKBSハイビジョンで、放送しました。

ただ今関係各所に連絡中。 詳細は後刻。 誠に申し訳ありません。 ただ今帰宅。 NHK岐阜支局によると、 NHKBS第三ハイビジョンで放送されたのだそうです。 再放送の予定を聞いておきますので、 ハイビジョンの方々はそれをぜひご覧ください。 お騒がせして申し訳ありませんでした。
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水木しげる上官瀧利郎、今朝8時、NHKBS「兵士たちの戦争」出演

[島田市指定文化財]御林守河村家 今朝、6月26日土曜日の朝8時、 NHKBS「兵士たちの戦争」に 叔父の瀧利郎が出演します。 瀧叔父は94歳。 昨日から、容態急変して入院しています。 6月15日の焼津市広報にも 写真入りの記事が掲載されて 今朝NHKBSの全国放送があるというのに ちょっと残念です。 …
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瀧利郎・明日朝8時NHKBS「兵士たちの戦争」出演(ガ島戦水木しげる上官)

[島田市指定文化財]御林守河村家 (水木しげる表紙絵・瀧利郎文) いよいよ明日朝8:00、NHKBS「兵士たちの戦争」に、 焼津市在住の叔父、瀧利郎が出演します。 ガ島戦のとき、叔父は師団司令部にいましたから、 戦況の全体像を把握しているのです。 水木しげるの紹介もあって、 出演することに決まりました。 …
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曾祖父河村宗平(etude228)

[島田市指定文化財]御林守河村家 (チリ公使晩餐会への曾祖父宛招待状封筒裏) 曾祖父河村宗平は幕末の争乱を見て育った。 維新の年に、宗平は数えで十になる。 当時は十五で元服だったのだから、 十歳といえばいっぱしの年である。 姉が他家へ嫁ぐとき、九つの宗平は、 裃に刀を差して見送ったと文書にあるから、…
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曾祖父河村宗平(etude227)

[島田市指定文化財]御林守河村家曾祖父河村宗平 (河村宗平宛のチリ公使晩餐会招待状) 曾祖父が 父を御林守河村市平、 母を栗田土麿の縁戚ちせの子として生まれたのは安政三年。 まさに幕末、黒船騒動のころ。 明治九年の手紙類を見ると、 東京・静岡に遊学していた河村宗平は、 連合民会議員(今の市会議員)をつ…
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